South China Sea News/*
December 1999
Dec 31
■ とうとう今年も最後の一日。大きな怪我も病気もせず火事盗難にも遭わず、たまに美味しいものをいただき面白い本を読み会いたいひとに会って過ごせたことについて、神様に御礼申し上げます。ありがとうありがとう。それからこんなハシにもボーにもひっかからないmurmurを読みにきてくださった皆様、お名前を存じ上げております方もそうでない方も、ありがとうございました。
■一部の皆様へ:茶と饅頭(マンゴープリンの素ないし薬でも可)は旧暦正月までにはなんとしてもお送りします!年越しのお約束になってしまってごめんなさい(平身低頭お詫び)。えー、このようにのろくさしておりますが、中国茶あるいは謎の薬と、貴方地元物産ないし古本を物々交換遊び(コスト度外視)してもよいという物好きな御仁、BBSにて募集中。
■さて一年を振り返りつくづく思われますに、香港に暮らしながら香港のあれこれを詳しく綴るわけでもなくただ自分の個人的なあれこれをぺたぺたと貼っているだけで、自分はどうもネット上のリソースをずいぶんと無駄にしておりますです。来る年にはもう少しデータとして、あるいはササヤカなりと読み物として立ち行く形を目指したいと思います(風呂敷ぶあああ)。来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。どちらさまもよいお年をお迎えください。

Dec 30
■本来は明日もカレンダー上は黒い(=出勤日)のだが、Y2K問題対応のため政府がお休みにしてくれたので三連休。仕事は山積しているが、晦日大晦日の日付をカレンダーに見るにつけ、新暦正月にはまったく正月気分でない南国に在っても、なんとなくそわそわとしてくる。ナニかを終わらせておくのにいい季節な気がするのです、年末って。三十路も半ばを越してまだそんな風に言う、いったい今さら何の区切りをつけるというのか、と嘲われそうですが、四十路でも五十路でも区切れないものは区切れません。まあ、こと人さまとの御縁は区「切る」区「切らない」ではなく、「ほどける」「ほどけない」でありたいです。切ったら二度とつながらないが、ほどけただけなら再びくるんと結ぶことも、あるいは敢えて結ばずにおくことも、できましょうから。

Dec 29
■くびの皮0.1枚でぶらりぶらりと背中に垂れた頭を抱えているところ。自分を戒めるために妖怪図絵に描き掛け軸にして床の間に飾っておきたいです。うがうが。

Dec 28
■友達から日本製のお菓子をもらった。マーブルチョコなどのミニチュアサイズがセットになっているお子様向けのものだ。箱のふたにクイズ問題が印刷してある。「哺乳類でいちばん大きいのはなに?こたえは裏ふたにあるよ」→裏ふた「シロナガスクジラ」といった具合。どれどれもぐもぐと見てゆくに、「地図の海岸線は海がどういう状態の時の線?」答えは「満潮時」。なるほど引き潮の時の海岸線と地図とは違うのか、勉強になるな。次は何だ。「くじ引きで将軍職に選ばれた室町幕府第六代将軍は誰?」なにこれぜんぜん知らないよ。答えは「足利義教」。誰ですか?銀閣寺建てたひと?(おぼろに違う気がする)パスパス。えー次は「君が代が正式に国歌になったのは明治何年?」ってあれ?「君が代」ってついこのあいだ法律で国歌にするだしないだって騒いでいたんじゃなかったかしら。そんな昔から国歌だったのかい、と裏ふたをみると「明治26年」としゃなりと書いてある。なんか納得いかんな。で、調べてみると、▼靖国神社のHP(こういう時には便利である)には次のように説明してある。
『明治の初め、外交儀礼の必要からも国歌を制定するにあたり、維新政府は、薩摩琵琶歌「蓬莱山」の中で歌われていた「君が代」を歌詞に選びました。そして軍楽隊教官の英人フェントンに作曲を依頼し、明治3年9月8日、わが国最初の陸軍観兵式に際して明治天皇の御前で初めて演奏しました。しかし、その旋律が日本語になじまないため、十年後、宮内省伶人長林広守作曲(原作奥好義、編曲海軍省傭教師エッケルト)の「君が代」が完成し、同13年11月3日の天長節に、宮中で初演奏されました。その歌詞と楽譜が次第に広まり、とくに同21年、「大日本礼式」に納めた楽譜が外国に送られ、また同26年、祝祭日奉唱歌として文部省より告示されました。』
この「祝祭日奉唱歌」というのは、勝手に想像するに国のいろいろなおめでたいできことを祝って歌い奉る歌であろうが、当時それを以って「国歌」と法律で定めていたかどうか、戦前の憲法ではそうだったのかどうかまでは調べていない。どうであれ「国歌に制定されたのは」とあたかも明治の当時から平成の今まで国歌でありつづけたかのようにも読める某明治●菓の謎かけ文に、ちょっとびっくりした元似非左翼系のわたしでした。
■それにしても最初の「君が代」は外国の方が作曲していたのですね。そのフェントン某氏のメロディがそのまま採用されていたらどんな風な「君が代」を歌っていることになったのかと言うと、たまたま見つけたのだが、フランスで武者修業中のパン職人さんである荻路さんという方のHPにある▼こちらで初代「君が代」のメロディを聴くことができる。雅びさという点では弐号機である現行「君が代」に譲るように思えるが、たいそう優しく穏やかな、爽やかなメロディかなと思います。

Dec 27
■三連休三日目、夜明けまで遊んだ。嬉しかった。たくさん眠った(また変な夢をたくさん見た)。楽しい連休はこれでおしまい。

Dec 26
■三連休二日目、頭痛で起きる昼(なにごとか)。
■夜、ベッドに半身を潜らせてネットをうろつくのにメビウス君が活躍中である。何か使い方がだいぶずれてきている気もするが、役立っているのだからよしとする。
■好きなものを好き好き大好きと言い放つのはとても簡単だが、嫌いなものを嫌い嫌い大嫌いと言い放つのは簡単かつ疲れることだ。ただ嫌いだと言って終わるのではなく、その向こうに何がしか継続して思考され吟味され翻されるものがあるならよいのだろうけれど、そこまで気軽に持っていくにはある程度の素養や技術(さほど難しいものではない)が必要だろう。しかもそれらは美しさや豊かさにはあまり縁がなく、地味で渋く、時に汚れてしまうかもしれない鈍みや重み、あるいは苦さと共にある。強く言葉を吐きつけることのカタルシスとその後に来るどほんと空いた穴の深みに、その重みでもって自分で梯子をかけて渡ってゆくひとを何人かネットで見てきたが、ただ穴をあけておくよりはましというだけで、それも特に褒められる作業ではない(宝石でできた梯子は無い、ということか)。あるレベルまでの流暢さで言葉を操り紡ぐのは簡単に出来ることで、簡単であるがゆえに容易に玉虫色になる。それは汚れてはいないが、澄んでもいない。その虹に映る青を赤と呼び緑を紫と定めるのも他人に頼る世界に、あえて遊ぶのを無粋とするか酔狂と呼ぶか。しまえきれずに箪笥からあふれる布のようにあたりを埋める言葉に巻かれて眠る、その夢をよしとするか、否か。
■きのう買ったホームズやルパンをぱらぱらめくる。新学社文庫というのは学校用なのか、カバー裏に「学校納入定価450円」とある。巻末には、どのように読書をすすめるかについて指導する「読書のしかた」が載っている。「怪紳士」の解説は中島河太郎氏だ。どうやら昭和初期の訳文をそのまま現代かな遣いに改めただけの様子で、子供向けにしてはずいぶんと重みのある言い回しが興味深い。人物紹介の一番下に「アルセーヌ=ルパン…侠盗」とある。きょうとう。いいねえ、わくわくするのう。

Dec 25
■三連休一日目、ライブ2日目。昼過ぎに起きて支度をし、ネットをうろうろしていたら夕方になったので少し早めにCauseway Bayに出る。古本屋さんには新しい入荷は無かったが、手ぶらで出るのも悔しい。仮に「来年は外国のミステリも読む」ことにして棚を眺める。しかし海外ミステリについてはからきし何も知らないので、とりあえず基本からということでお子様向けらしき新学社文庫の「シャーロック・ホウムズの冒険」「シャーロック・ホウムズの生還」(鈴木幸夫訳)「アルセーヌ・ルパン物語 怪紳士」(保篠龍緒訳)、創元推理文庫のアルセーヌ・リュパンシリーズ「謎の家」(井上勇訳)、新潮文庫のルパン傑作集VIII 「八点鐘」(堀口大學訳)、ついでに新潮文庫「しあわせの書 迷探偵ヨギガンジーの心霊術」(泡坂妻夫/新潮文庫)も買う。ルパンなんて何年ぶりだろうか。海外ミステリって最初はやっぱりホームズとルパンですよね、違うのかな。この次にはどう進めばよいのか、カーとかポーとか(いやここにポーをいれてはいかんとも聞くが)クリスティとかクイーンとかであろうか。それともぐっとジャンプして現代ものに行くのかな。いわゆる「探偵小説」は海外ミステリにおいては今も生きているのだろうか。誰かこういうことを初歩の初歩から指南してくれるWEBサイトを作ってください(←甘えまくり)。
■著者名順でもジャンル別でもなくただごそっと並んでいる棚を眺めていて思った。本屋というのは個体である本をこうして並べていて、ひとは棚の前に立ってあれこれ手にとることができる。リンクにむすばれて進んでゆくWEBのどこか「道」づけられた辿り方よりずっと直接でずっとランダムでずっとばらばらだ。ではAmazon.comのあれはどうなのか。ふたつはどう違うのか、まだよくわからない。
■ライヴ前にふたりのSさんと待ち合わせ、私のリクエストで念願の火鍋をつつく。火鍋は日本風に言うところのしゃぶしゃぶで、いろいろな種類の出汁スープから好みの味を選び、具もたくさんのメニューのなかから選んで、自分たちでどんどん鍋につっこんで、煮えたところを醤油味や唐辛子をつかったタレなどでいただくもの。店によってはこのタレも甘いもの辛いものニンニク味のものと、何種類もある。今回はSさんのおすすめで巨大な朝鮮人参と魚をまるごとどかっと突っ込んで煮立てたスープを選んだが、薬膳ぽいのかなと思ったら大変に穏やかなあっさりした味で、ほくほくと箸がすすむ。具にはアメリカ産牛肉、豆腐、えのき、四寳(鶏肉・イカ・牛肉・魚肉のつみれボール)、にら餃子、クレソン、白菜仔(ぱくちょいちゃい)、それに粉糸(ふぁんしー/米粉で作ったビーフンに似た細い麺)。はぐはぐむしゃむしゃと3人でおなかいっぱい食べてひとりHK$120(約1500円)はリーズナブルである。冬に香港においでの際はぜひお試しを。
■ライヴの方は昨日と差不多だった。明日も追加公演あるらしいが行くのはやめておく。終わらせるために見にいっているような気がしてならないからだ。終わるというのならずっと前に終わっているし、終わらないのならきっとずっと終わらないだろう。あるいは終わることを逆に戒められている気もするが、そのforbiddenを解くのはおそらく時間ではなく、各個人の内側にある鍵でしかない。

Dec 24
■クリスマスイヴの半ドンだったが何やかやと遅くなり午後4時ごろ退社。Sさんと待ち合わせてからたらふく夕食をとり、21時から始まるライヴを見に湾仔の香港会議展覧中心(返還式典を行ったConvention and Exhibition Centre)に。2時間立ちっぱなしで腰が疲れた。やべー。
■気がつくと兄の声を探している。ギタリストはなんと巡りめぐって88年第4季勁歌金曲時と同じ顎で驚いた。ていうか誰かに似てる、誰に似ているのだったっけとぐるぐるしたが、そうです小虎でした、当時より更にくりそつです。ヴォーカリストとしてもプレイヤーとしてもコンポーザーとしても一流とは言えない中途半端なひとたちだが、香港ではそれでもやはり希有な存在だったのだと思う。いろいろと思い出されることがあったが、つきつめるといつもわからなくなるので放っておく。

Dec 23
■竹本健治著「凶区の爪」(光文社文庫)を読む。無論トリックは見破れなかったが(というかトリック以前の「誰も知らない理由」が重要なオハナシであったが)、序盤から「ぬ?」とひっかかっていた人物が結局犯人だったあたりが若干もよもよとしている。まあもちろんそれは面白さに影をおとすものではない。全体に妙に映画的映像的で、これは最初の殺人事件がいささか猟奇であるあたりからして横溝風にするべきところ、あえて「攻殻機動隊」の絵柄で想像して読んでみたらけっこういけた。だが先に著者が同一人物を描いた漫画「入神」を読んでいるので、最後に探偵役となる牧場智久クンや案内役となる類子嬢のイメージはその漫画の絵柄のままストップモーションでアニメ映画の中に登場する具合となったのは失敗だった。
■温泉に行く夢を見る。来年は叶えましょう。
■It seems the roll belongs to you now, dear.

Dec 22
■20日までの四日間で合計33人が凍死したと云う。報道では昨日の最低気温は6度あたりらしいが、北風が吹きつけるともちろん体感温度はそれよりぐっと下がる。東京の半分の人口がある街で33人凍えて死ぬって、多いのか少ないのか。なんだか日記に凍死のことばかり書くのは心が冷えるのう。
■香港は海沿いからすぐにぐっと土地が盛り上がり山になっている地形が多く、さほど標高が高くないとはいえ丘とは云えないレベルの山がいくつもある。それらの山頂では零下2度ぐらいまで下がって水が凍ったりもしたそうで、わざわざ記念撮影に参ずる物好きな人もいるらしい。霜が降りるのを見物しに山まででかける人もよくいるようだ。どうせなら雪でも降れば、と思うがそれはさすがに難しい。
■今日は冬至。香港では中国の古い慣習が残っていて、この冬至という日は家族揃ってごはんを食べる日と決まっているので、だいたいどこの会社も半ドンになる。と云うことでまだ日があるうちに退社。Causeway Bayで用事を済ませた後、各所の皆さんとお約束したきりになっている茶の仕入れでもと思ったが日も暮れかかりあまりの寒さに意気地無く挫折、自宅の方向に向かうバスに飛び乗る。するとこれが我がボロ団地のすぐそばまで行きながらぐっと違う道に入り、どんどん急な山坂を上っていくのである。「お?」と戸惑っているうちにだいぶ離れた山の上の終点に連れていかれてしまった。何が哀しくて寒風吹きすさぶ日暮れ時に山下りをせねばならんのか、しかし登ってしまったものは下りねばならん、とぼちぼちと来た道を辿って戻ると、ちょうど遥かにアバディーンの海が見えて、夕日の色だらけになった世界でしばし呆とした。寒い日でないと出会えない景色というのは南国にもあるらしい。

Dec 21
■この2〜3日は最低気温が6〜8度、最高気温が12〜14度あたりで推移するらしい。風邪に罹るひとが増えている。マフラー巻いて背中を丸めて寒風の中をひいひい云いながら歩く。東京の冬みたいです。街で売れているものは厚手の女性用タイツと野菜(みんな鍋を作るから)。魚旦(魚肉ボール)も売れているらしい。ああ火鍋が食べたい。
■紅茶の種類にある「ダージリン」って英語だと思っていたけれど、綴りはDarjeelingと書くのだと今日知った。なんだか英語っぽくない。ヒマラヤに近いインドで栽培されるとパッケージには書いてあるが、近所のスーパーでは品名「大吉嶺」と表示していた。地名なのだろうか。だいぶ中国茶っぽい黒い味ですね。トワイニングのティーバッグだから?

Dec 20
寒い!好凍呀! 昨日か一昨日あたりは凍死者が一度に5人出たらしい。一年の半分はクーラーをかけて過ごす土地で凍死って、いったいどんな運命でそんな目に遭うのだろうか。
■通勤前に外の気温を知りたい時は、テレビをつける。朝の時間帯は、地上波チャンネルで現在の気温と予想最高気温、湿度、天気予報マーク、それに暴風雨や台風・乾燥などの注意報や警報が出ていればそのマークをずらっと画面上部に表示しているのだ。今朝テレビをつけたら、見かけない水色の雲のようなマークが出ていた。よく見ると「冷」と文字が入っている。寒冷注意報である。会社の同僚に確かめたところ、今年というかこの数日の寒さをうけて急遽設けられたものらしい。明後日あたりは摂氏8度程度まで下がると云う。暖房の無い8度は勘弁してほしい。切実に。
■ビデオを返却しにCauseway Bayに行くと、妙な色の看板に「Super Warm」と記した店に文字どおり長蛇の列が出来ていた。いわゆる防寒ウェアショップである。ざっと見ても100メートルは並んでいる。冷たい風が吹きつける中で辛抱強く並んでいる香港人は、日頃子供のようにはしゃいでころころ意見が変わってにぎやかでおしゃまな人達とは思えないが、つまりそれほど切実ということなのか、単にその店が安売りをしていたのかはわからない。
■借りたのは「八月の鯨」「セックスと嘘とビデオテープ」「BABE」。今頃見るなって?でも見たことなかったんだもの。

Dec 19
■昼前に起きて買い物などするも、寒くて活動が鈍るわたしはどうぶつ。おひさまが顔を見せないと覿面(てきめんとはこんな字を書くのか)に気温が下がるのは当然と云えば当然だが、南国のくせに長袖Tの上にニットのセーターを着てまだ薄ら寒いとはどういうことだ(それは窓を開けているから)。夕方寒さに丸まってうとうとしていたら両親から携帯に電話がかかってきて目が覚めた。便利だなあ。
■深夜23:30から開始された澳門(おぅむん/マカオ)の中国返還式典をテレビで見る。マカオは香港よりずっとずっと「植民地」としての歴史が長い。ポルトガルが世界の半分を牛耳っていた時代の最後のなごりのひとつだ。香港よりもっと小さな街だが、由緒のある文物建築はいくつか残っている。式次第は香港の時とほぼ同じような形で滞りなく、あっけないほどすんなりと進んで終わった。ちなみに中国では、10日ほど前に急遽全土で12月20日を祝日にすることにしたらしい(もちろんご当地マカオも休日)のだが、「返還の先輩」でありいまや立派に「中国の一部」であるはずの香港では20日は休みではない。内モンゴル自治区も黒竜江省も休みでマカオの隣の香港が休みじゃないってのはどういうことだ江沢民。
■「未来警察殺人課」(都筑道夫/徳間文庫)を読む。都筑節イカす! 第2の地球に移住して数十世紀経った後の世界を舞台に、殺人願望を持ったがゆえに殺人者を仕留める刑事になった男が毎回美女と絡んで(お約束)悪い奴輩をぶっ倒すのである。うーむ、この軽快感とハードボイルド感、敢えて類を探すなら初代ルパン3世の面白さか。
■はたと気がついたが、どうも私にとっての読書はテレビを見たり音楽を聴いたりごはんを食べたりといった「摂取活動」のひとつであって、趣味ではないようだ。きたるべき(っていつや)優雅な隠居生活のためには、やはりよい趣味のひとつやふたつは身につけて然るべしと思うが、どうするか。

Dec 18
■あるひとがいて、一方的に興味を持っているのだけれど、どこまでどのように興味を深めてもそのひとの脳味噌に映る世界が自分に見えるわけではない、という事象が「個体」の不思議さである。卵子と精子が出会う時以外、わたしたちは溶けあうことが出来ない。自分の視覚や聴覚や触覚や意識を保ったまま自己を他者と重ね合わせることは出来ない。だが仮に脳を半分に分けて、半分には自分の神経を繋げたままにしておき、残り半分には他者の(半脳分の)神経を繋げたら、世界はどう見えるのだろうか。半分の神経を繋げあった他者と抱きあった時、自分の視界には自分が見えるのだろうか。自分に触れる自分と、触れられる自分を感じるだろうか。あのひとが噛みくだすものを私の舌は味わうだろうか。私が聞く音をあのひとは楽しむだろうか。恐怖や不思議を分け合うことは出来るだろうか。快感はどのようにわかちあえるだろうか。あのひとの考えていることがわたしにわかり、それをあのひとも知るのだろうか。
■夕方からビデオで「クラッシュ」を見る。交通事故が与えるsexualな快感に魅入られた男女の、錯綜するからだと視線で編んだ映画。奇麗に冷えている。クローネンバーグの映画は「裸のランチ」しかきちんと見たことがないが、色の流れ方や在り方がどこか似ている、まあ監督が同じだしな、と思ったら撮影監督も編集も美術も音楽も衣装デザインも同じひとたちだった(一家なのかしら)。
■なんと気温14度なぞという死にそうな状態で、部屋の中でコートを着ているのです。たすけて。

Dec 17
■「白昼夢〜ホラー・アンソロジー」(集英社文庫)を読む。スーパーナチュラルや幻想や妖怪系が出てこない、あくまで現実の中で起きる一件を描いた篠田節子の「永久保存」が一番厭〜に怖かった。のーのー。ろーぷろーぷ。
■ふと思ったが煙草を吸うひとになろうかしら。煙草ってどうかしら。やめといたほうがいいかしら。匂い苦手だしな。始めたらけっこう吸うひとになりそうだ。家計逼迫しちゃうか。
■誰かを想うこと=恋愛について言葉を発するひとには、必ずどこかに自分自身の想いの対象が存在し、どんなに抽象的なことを語っていても、それはその対象へ語る言葉として編んでいるのだとバルトさんは云っていたように思うが、本当かしら。WEB日記や雑記やエッセイで恋について語っているひとは多いが、その言葉を紡ぐにあたって必ずどこかに彼/彼女が無意識にも想っているひとがいるとしたら、この世は恋だらけな気もするが、それは誰もかれもが自分の囁きを公開するWEBという世界だからなのかしら。恋は語られるものだとバルトさんは云う。いまこうやって書いているということは、わたくしも誰かに恋しているのですかな。日本語がわかるひとだといいですが。
■電網漂流:8秒間隔のスライドショウ形式で見る2600点のポスター、▼戦前期日本の<モダンの力>。ついつい止めてじっくり見てしまう。

Dec 16
■朝になっても体が動かず半日休み。ずっと寝ていたら仕事の夢を見たが、それがあまりに現実とそっくりなので目覚めながらにやにや笑っていた。午後出社してもやはりぼうっとしていて作業はかどらず。Sさんを誘って食事にいく。生の鯖の刺身とふろ吹き大根、フグ皮のポン酢あえ、南瓜のてんぷらなど。そのあと尖東(Tsimshatsui East)のビル街を散策して巨大なネオン飾りを堪能し、ぶらぶらヴィクトリア湾沿いに歩いて香港島側の夜景を眺めながらフェリーで帰る。歩いたら復活した。やはり筋肉や内臓や血液を動かさないといけないのだ。面白いなあ。
■携帯電話が鳴ったので慌てて開いた(二つ折りになっていて使用する時はそれを開くタイプなのだ)が、開いただけで通話状態になるのに、その上「OK」ボタンを押して通話を切ってしまう。先が思いやられる。
■最近、読みにいく日記が減っている。どうしてだろう。会ったことがあるひともないひとも同じ割合で減っているので、身近に感じる感じないの区別があるのでもなさそうだ。

Dec 15
■ひさびさに沈没する。だるくて、重くて、血と肉と骨が生コンクリと鉛と鉄柱にすりかわっていくような感じ。いやではないのだけど、つらい。
■「泡坂妻夫の怖い話」(新潮文庫)を読む。全31篇のショート・ショート集。官能幻想片ありSFショットあり怪奇談あり。ひょいと日常がめくれて落ちる、淡くないのに軽いうまみ。お酒のような小説を書く方だと思います。

Dec 14
■ふふふ今日からわたくしも「情報処理技術者」様である。わーいかっくいー。ってどこに「情報処理」の「技術」があるんだか自分でもわかりません「初級システムアドミニストレーター」って。まあ「初級」だし。コンピュータ技術と云うよりもごく初歩の経営常識を問う問題が多かったと思うです(特に午後の部)。経営学部とか商学部とかバイトでお店の会計も任されてる学生さんなどが得意なんじゃないでしょうか。卒業前に取っておく手軽な資格として認知されているのか、試験会場は若者でいっぱいでしたのう。俺はかなりの部分で仕事上の経験をひねくり回しいちかばちかでやっつけた感が強いっす。つまりまぐれ。まぐれ王者とお呼び。
■資格取ったからって生活に変化はないのだ。ぜんぜん。

Dec 13
■携帯電話を買った。香港にはいくつかの携帯電話サービス会社があり激しい競争を繰り広げているが、料金が安いところは受信状態が悪かったり、高いところは欲しい機体を取り扱っていなかったりであれこれさすらうひとも多いようだ。同僚にリサーチして、受信状態が比較的良好らしいHONG KONG TELECOMの店舗に行ってみたが、私が欲しかった機体は入荷2ヵ月待ちとのこと。当地では日本の携帯電話サイズ程に小さくて軽い機体はまだ高級品で、もうひとまわり大きくてずんぐりしたタイプが普及品である。結局買ったのはMOTOROLA社のV3688+。そこそこ小さい。
■また寒くなった。白くさみしく濁った空におひさまが隠されているとあっけなく気持ちも凍えてしまうが、あるいはだからこそ「あったかい鍋でも食おうやないか!なあ!」とひとが懐かしくなったりもするのだけど、夜になるとクリスマスのネオンがとにかくにぎやかにちかちかぴかぴかしていて、すこしは元気になる。なんですか、すこしづつ元気になるほうが、一気に元気になるより気持ちがいいです。ほんのちょっと回復した分などまたすぐ失われるのではないか、と不安になり、その不安がふと晴れてまたほんのり元気になり、というふうにしみじみしていられるのは幸せだ。
■映画「Anna and the King」がクリスマス頃から封切られる。ジョディ=フォスターは好きだ。ユンファさまはどんな王様っぷりなのだろうか。「八星報喜」のアレとはだいぶん違うんだろうな(違わなかったら、それもある意味スゴイ)。「大丈夫日記」の彼みたいに、にぱはははと笑うのだろうか。今も笑ったら彼の口はハートパイの形になるのかしら。
■笑うと可愛いくなる男、とかよくいいますが、ふつうは笑ったら誰でも可愛くなる。笑って可愛くなっちゃった自分の可愛さが見えない男のひとは尚更可愛い。って女はどうなのかとふりかえるに女の身ではわからんですが、笑った時よりももっと可愛くなる時はあるのかもしれないけれど、それを女は自分でわかっているのか否かてのは、ねえ。秘密ね。
■年賀状の季節なのか。

Dec 12
■頭痛も片付けものもおさまらず、少しブルー。天龍がIWGPヘビーって。もう平成12年が目の前なのに。12年つったらあなた、少年が青年になるくらいの時間ですのによ。
■難しい難しいと思っていた「知恵の樹」のいくつかのフレーズが頭の片隅に残っていて、なんとなくぼんやりしている時に「ああ、こんな風に考えるのもあの説のとおりなのかしら」となぞってみたりしている。変わっていくのはもちろん「あのひとたちだけ」でも「わたしだけ」でもない。また「変わってしまった」とその変化を嫌ったり嘆いたりするのでもない。わたしたちは変わりながら、変わることによって、わたしたちであることを続けているのだから。わたしが変わることであのひとが変わり、あのひとが変わることがわたしを変える。そうやって変わっていくわたしたちは、わたしたちをより深く、より向こう側にいるわたしたちそのものへ導いている。そこに意志があるのではなく、そのように構造づけられていることによって。それは純粋に生物学的にそのようであり、ミドリムシの走光性がミドリムシをそのように定めているのと、同じ意味でそうであるらしい(違うかも)。
■玄米茶はうまいのう。

Dec 11
■髪を切って染めた。真っ赤なメッシュ入り(部分的にまとまって生えている白髪が純粋に染料の色になるのである)。赤過ぎるような気もするけれどクリスマスだからいっかーって、緑のピンをさして白い綿をちらして電飾巻いたらどうなのよ。背中にバッテリー。いいかんじ。でも賛美歌歌えないからだめ。
■二日連続で古本屋に通い、「未来警察殺人課」(都筑道夫/徳間文庫)「蜻蛉日記をご一緒に」(田辺聖子/講談社文庫)「ふた子の星」(宮沢賢治/フォア文庫)「絵のない絵本」(アンデルセン/フォア文庫)を買う。「絵のない絵本」は、小学校高学年の頃、小遣いをはたいてどこかの文庫から出ていたのを自分で買った覚えがある。本来「絵のない」絵本であって、アンデルセンの原作はそのとおりさし絵が付けられていなかったそうだが、小学生の私が買った文庫本には、「木馬座」の影絵の作者がイラストを描いていた。あの頃毎日夕方に木馬座提供の天気予報番組が放映されていて、カラフルできりっと線の張った影絵が画面いっぱいに動くのが大好きで、そのイラスト欲しさに買ったのだ。「木馬座」と云ってもピンとくる方は少ないかもしれないが、「ケロヨン」の絵のひと、と申し上げればわかってくれる人が少しは増えるかしら。▼藤城清治という方です。あれからまた四半世紀は経っていて氏の絵柄も少し当時と変わっているようにお見受けするが、この黒い小人たちの不思議な沈黙と可愛さは変わらないようだ。
■美容院を出た頃から頭痛。古本屋にいる時間と帰宅して「紅の豚」をうっとり見ている間は忘れていたが、かなりぎしぎしくる。痛い、と云う感覚にはどうしてこんなに種類があるのだろう。みしみし、ぎしぎし、きりきり、ずきずき、どきどき。か行の音が多いのは、痛みのツン、とくる刺激を「き」という音の狭さや固さで表わしているのだろうか。ま行やな行の音は痛みを表わす音には似合わないように思うが、「みしみし」って変なのかしら。みしみし痛い時ってありませんか?
■電網漂流。▼IRON GIANT! 「アイロンジャイアント」ではありません。同じロボエレジーでも、ロビタ(泣ける)との違いが興味深い。

Dec 10
■押しの弱い新入り上司に面倒な仕事を任せて歯医者へ向かう。レントゲン写真を撮って調べたが「今現在は虫歯ではない」との診断でほっとするも、「歯茎が弱いし、いずれ再治療が必要」と言われ新たな不安が残る。現在我身上真没有銭呀! レンタルビデオ屋の棚を半分ほど眺め「紅の豚」「フル・モンティ」「クラッシュ」を借りる。古本屋で「小説・江戸歌舞伎秘話」(戸板康二/講談社文庫)「白昼夢〜ホラー・アンソロジー」(井上夢人、篠田節子他/集英社文庫)「凶区の爪」(竹本健治/光文社文庫)「増補 幕末百話」(篠田鉱造/岩波文庫)「マンガ老荘の思想」(講談社+α文庫)「浪花少年探偵団」(東野圭吾/講談社文庫)を買う。「凶区の爪」が見つかったのは嬉しい。夕食に中華そばをすすりながら買ったばかりの「浪花少年探偵団」をめくる。ついでに新刊書店で雑誌をためつすがめつ眺め、あれこれ選ぶ。…といったことが、定時に帰ると全部出来ることがわかった。すごい。この後にレイトショーで映画を見ることもできたが、さすがに少し疲れたので帰宅。
■シュウ・ケイ主演の謎の007ぱくり映画、どうしてなのかなあと思っていたら本物の007映画が公開されるのだった。ブラピ(という略称は知ってるぞ)の「Fight Club」ですか?それが終わって次は007とシュワルツネッガーとハリソン=フォードである。「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」による世界安定計画の国際部門のような趣きですが、それがこの世のお正月なのですな。世紀末も安心ですかな。

Dec 9
■時間の経過にしたがって身の回りでいろいろなものがさまざまに変化してゆくが、好みだったWEBサイトがふと気づくとなんとなく魅力の薄れたものに感じられているのは、いかにも寂しいことだ。それこそが面白いと思っていたはずのuniqueさが、いつのまにかやけに安っぽいひとりよがりなものに見えている。同じ現象がこの地味な雑文を読んでくだすっている何人かの奇特な方の心中にも起きているかもしれない。そういう変化、きれいな言葉で云うなら「流れ」は毎日毎分、毎秒、この手の指先に血が巡るのと同じレベルで、起きているらしい。毛細血管の中を走り抜ける赤血球ひとつひとつに番号をふることが出来ないように、それらのひとつひとつを追うことはもちろん出来ない。
■おひさまがひさしぶりに空いっぱいを照らしてくれて、小春日和の一日だった。お昼にお弁当を買って会社の傍の公園で食べました。噴水があって、緑が適当に植えられていて日陰に大きなベンチがいくつもあって、ぽつぽつと人がいて静かすぎずうるさすぎず。お茶を飲みお弁当を広げて本を読む。ぽかぽかと暖かい。小さいけれど確実な幸福、でしたかのう。こんな風な時間を持てるようになったのも、少しは生き返ってきた証拠だと思うことにします。そうそう、もちろんおひさまのおかげでもあります。おひさまありがとう。
■「夕潮」読了。ミステリとしては後半あたりから自ずから「誰が」の部分は浮かび上がってくるので憾みもあるが、最後まで「何故」はどことなくぼやけている、そのぼやけた像があくまで結ばれないことでかえって余韻が残る。汐臭い冷えた水が女を得てぬるむ瞬間の禍禍しさ、海が冷たい官能に隠している何か激しい渦のようなものを、あえて硬質な乾いた砂目の布に写したような感触。
■12/7に書いた「著者晩年の作」というのは間違いでした。有名ないわくがあったのだった。取り急ぎ訂正。

Dec 8
■歯が痛くなってきたような気がする。怖い。治療費が。香港で歯医者にいくには大枚をはたく覚悟が必要だ。よって香港に行くと決めた後、退職した会社の保険を使って念入りに治療をすませた(在職中に初診を済ませていると、担当医師に必要書類を書いてもらい「継続」の申請をすることで、退職後も引き続き健保が使える場合がある。私は都合数回分の歯科治療でお世話になった。退職予定の方は焦って国民健康保険に切り替えず、利用できないかどうか確認しましょう)。以来5年近く、幸い虫歯には悩まされずにきたのだが…うう。
■痛みというものはどうにもあまのじゃくで、痛い痛いと思っているとますます痛くなる。靴ズレもそうだ。あれはたまらない。痛いのも辛いが、何かこう虚しいというか悲しいというか、せつなくなるのがたまらない。せっかく買った靴に裏切られている錯覚が伴うからなのかしら。腹痛や頭痛は純粋に痛みを楽しめるような部分もあるけれど(いえ、この世で最も苦手なのは腹痛ですが)。
■痛みというのは物質だろうか、と、ここ数年ときに想像して遊んでいる。痛みというのは「存在」しているのか。「感覚」は物質か。手にとって見ることが出来ないのにそこにはっきりと「感じられる」ものは物質か。物質とはなにか。存在するものとは何か。「在る」とはなにか。痛みとは、何か。
■「痛み」はすなわち「苦しみ」であることが多いですが、完全にイコールではない。苦しみではない痛みも、時には、ある。然らば、苦しみとはなにか? 苦しみは「感覚」であるか? 感覚器官で感知されるものを「感覚」とするなら痛みは確かにそうかもしれぬ、しかし「苦しみ」はそうではなさそうに思える。空気が薄くなって息ができなくなった時のそれは「苦しみ」であろうけれども、そしてそれは確かに「感じられて」いるのだけれど、いったいどこで?「胸が苦しい」というので「胸」で感じているのか。では胸は感覚器官なのか。「喉が苦しい」では喉は感覚器官なのか。「心が苦しい」じゃあ心は感覚器官なのか。
■思いきって電話したら予約がいっぱいで、歯医者には明後日行くことになった。それまで痛みのことでも考えていよう。

Dec 7
■まだ寒い。肩凝り用温感湿布で暖を取るのはどうにかしたい。
■「知恵の樹」(ちくま学芸文庫)をようやく読み終える。たぶんこれは感想を誰かに述べる本ではない。読む前と読んだ後の自分にどれだけ違いがあるか、どれだけ違うようになるための実を得たかを自らの「行動(訳者は「ふるまい」と訳していた)」に示すことで終わる類の本なのだろう。認識することの生物学的意味。あるいは「人間でいること」というシステムが動いている仕組みは、バクテリアの中で何かの有機的物質が動いている仕組みといっさい変わらないのだということ。あと数年たってからもう一度読み返してみたい気もする。
■「夕潮」(日影丈吉/創元推理文庫)読みはじめ。著者晩年の作。←間違い。70年代に著者が雑誌「幻影城」のため執筆するも、「幻影城」廃刊のあおりを受けて前後篇の前編のみ掲載されたまま後編の原稿が紛失され、そのまま幻の一作になっていた。その後偶然から原稿コピーが発見され、巡りめぐって1990年、著者最晩年に刊行されたいわくつきの作品らしいです。ひんやり湿気た海の匂いがする導入部、泳いでいるうちに濡れた布が足にからまりきつく縛られてゆく予感と申しますか、「なにか起きる/起きたのか/なにが?」となにも物語られないうちから漂わせる技、技(わざ)というより罠、それにたやすくひっかかり、甘くないのに甘みを感じる夕陽を映す海水に沈んでおります。一気に読むのがもったいないのだが、一気に読みそう。
■コンテンツを置かせていただいている「はうン」サーバ本体の管理人であらせらる▼町田の電波様がお引っ越しされる由。OCN工事などがあり、サーバへの接続はその期間(12/20以降数日間でしょうか)お休みとなります。
▼魔鳥のお城でしばらく前にリンクされて知ることができた▼月光のサイト。月光ってあの月光です。わたくし思わず南原編集長に海外にも通販してちょーのお願いメールを出してしまいました。あの南原さんにメールする日が来るなんてよう。しかも即お返事来たし。久しぶりにあっち系の読みものをたんまり読めそうで嬉しいです。

Dec 6
■さむい!いったいどうしたことです、朝の気温が15度とは!(22時現在室内にて半袖シャツ+長袖シャツ+長袖綿プルオーバー+襟巻装着)つまり太陽が雲で隠されてしまうとさすがに冬なのだった。何度も申し上げておりますが、香港には「ビル暖房」というものはありません。空調=冷房。空調を止めると空気が濁るので冬も冷房をかけなければならず、「オフィスの冷房対策」は冬の話題。暖かくて動きやすいカシミアのカーディガンが欲しい(ってこれも毎年云ってないか)。奮発して買おうかのう、ミレニアムだし。
■ちなみにえりまき/マフラーを広東語で何と言うでしょう(ヒント:赤ずきんちゃん)
■ぶつぶつ。を見ると、私はいやもおうもなくやもたてもたまらずひっかきつぶしたくなります。指が、爪が、目が、ぶつぶつをとらえてはなさないのです。ぶつぶつ、それはつぶされるべきものです。そのちいさなつぶつぶはひとつのこらずおしつぶされるべきものです。ぶつぶつはつぶつぶがちいさくなければぶつぶつではありません。おおきいぶつぶつはでこぼこといいます。それはひっかきつぶせないのでだいじょうぶです。でもちいさいつぶつぶのぶつぶつ、その突起の集合を、私は壊滅させずにはおられないのだ。
■とげとげとぶつぶつはときどき似ていますがちょっと違います。だからわたしはおろしがねのぶつぶつはひっかきません。実は以前、ふと指を出してしまい、大変痛い思いをしました。鳥肌などはいい材料です。ばんばん叩きさすります。日常見聞する範囲で金属や陶器類の表面にぶつぶつができることはあまりなさそうですが、もしあったらかなりしつこくこすったり叩いたりします。でもなかなかつぶれないので悔しいです。
■答え:「頚巾」。頭を包む「頭巾」は日本語にも在る言葉なのに、なぜ頚(くび)を包む「頚巾」は「襟巻(えりまき)」という和語になるのか。仮に「頭巾」が中国で発祥し日本に渡ってきた言葉であるならば、「頚巾」は対馬海峡あるいは南西諸島を渡りそこねたのか。もしくは渡りはしたが日本のどこかでいつしか滅び、新興の「襟巻」が生まれたのか。こういうささいな疑問はどうやって調べればいいのか<またかい

Dec 5
■最初に1500円とか2000円といった値で売られていた自分の本が、古本屋に回って200円100円50円で売られるようになった時の作家の気持ちというのはどのようなものであろうか。何も思うところは無いのだろうか。厭になったり悲しくなったりするだろうか。
■私が住んでいる団地の互助会、というか地元有志団体は、しょっちゅう慈善の催しを企画している。団地の中庭(まさに猫の額ほどの場所)に舞台をあつらえて日曜ごとにカラオケ大会(超迷惑)だの広東オペラ歌手のステージ(少しはまし)だのが実施されているのだが、今日はその催しに特別ゲストとして黎明(Leon Lai)が来るというので夕方からご近所の数百人が詰めかけた。警官も大勢きて交通整理に当たる。黎明ご本尊は予定よりだいぶ遅れて到着、しょぼい舞台に上って20分ほどサングラス越しの笑顔をふりまいてさっさとお帰りあそばした模様。電球をスーパーに買いにいくついでにちょっと覗いてみたが、背が高いなあ、という印象でした。
■いらなくなったものをどんどん捨てる。本当にいるものを捨てないように気をつけていたつもりが、実はいらないものも大切だと間違ってため込んでいたのだ。もうどんどん捨てる。捨てまくり。捨て女王。
■電灯(60W3個)の電球がひとつ切れていたので取り替えた。スイッチを入れたら、今度は違う電球が「ぼんばりん!」と叫んで飛び出た。見るとソケットに近いガラス部分が黒く焦げてもげている。なんだよう。光は帰ってきてくれないのかよう。

Dec 4
■最近の土曜には珍しく午前中に起床。でも起きてすぐネットにツナガレちゃうようでは千里の道は遠い。近所の雑貨屋(というより乾物屋か)で風呂場用の篭を調達する。100円ショップならぬ10ドルショップで、労務者風のおじさまがプラスチック製の洗面器を片手にしばし目を一点に止め何事か深く思案している。その隣で、私もiMac風半透明スモークカラーのごみ箱を買うか買うまいか沈思黙考する。
■水樹和佳の漫画「樹魔」を読み、以前はどうとも思わなかったシーンで泣く。どうしたことか。
■食料と水を仕入れて、夜は昨日借りてきたビデオを見る。トトロではやはり前回と同じ場面で泣く(よく泣く日だ)。世の中の二人姉妹の長女はなべてこの映画を愛するべきである。たったひとりの妹を持つ姉であるひとは、なべてこの映画を愛するべきである。てゆーか二人姉妹の長女しか知らない秘密をばらしおった監督は世の中のわたしたちに謝るべきである(暴論)。
■「薔薇の名前」は部分的に見たことはあったが通して見たのは初めて。どうもこのシリアスな修道院ものが好きなのに理由が見当たらないのが不思議だが、ヘッセの「知と愛」もやはりその「理由」で愛し ているのです。

Dec 3
■週末だから呑みにでもゆこうよとSさんを誘おうと思ったら出張で不在。じゃあ映画でも見っぺか久しぶりにのう!と新聞をチェックするもどうも面白そうなものはやっていない。結局残業する。閉店まぎわの日本人向け違法レンタルショップで「となりのトトロ」と「薔薇の名前」を借りて帰る。
■こたつに「はいる」ですか?「あたる」ですか?「つかう」では味気ないですな。もうここ数年こたつにはいって/あたっていない。ぬくぬくしたい時、冬の日本はとてもいいと思う。こたつ。鍋。重たいふとん。ストーブの上に置いて焼くお餅。冬休み。
■なんと今度はwithを買ってしまった。55ドル(約730円)もするのにやばいです。日本の雑誌では、他にJJやViViもよく道端雑誌屋さんで売っている(たまにmen's non-noもある)。香港の若い娘さんたちのファッションを観察してみてもどこがどうと考察できないのだけれど、日本に比べて全体に細いのは確か。少しいじわるな言い方をすると、細いというより全身ぺったんこなひとが多い。そして香港のじょ、じょがくせいの脚は、日本の真綿だらだらそっくす包みのお大根さまに比べて、信じられないほど美しい。きゃ、きゃもしかのようです。

Dec 2
■会社の帰りに道端の露天雑誌屋でnon-noの最新号を買い、Super Sandwichでイモと野菜ジュースを夕食にしつつめくる。たまにむしょうに日本語の雑誌(気楽に眺められる日本語の文章)が読みたくなるが、non-noならたいがいの道端雑誌屋で売っているので、昔も今も自分には全然似合わない雑誌と知りつつも買うことがある。「今年の冬、コートはこれで決まり!」なんて記事は読んでいても目が虚ろになるが。
■ネオンまみれのNathan Roadを佐敦までぼちぼち歩き、西海底トンネルを抜けて香港仔に直通する小巴(ミニバス)に乗る。バス停の目の前にある大きな映画館(地下鉄「佐敦」駅の真上にある老舗「新寶戯院」)で看板を取り替えているところを目撃する。香港の映画の看板は中西問わず手描きである。この映画館の看板はだいぶ大きい方で、横は20メートル縦は5メートルはありそうだ。その面積を36分割した板を順番に並べて紐で吊り上げ、足場に組み込んでいる。映画のタイトルは「我愛777」、どうしたんでしょうかいったいなぜいま007なんでしょうかというベタな香港産007モジリで、主演女優はシュウ・ケイ。彼女のヌード写真集(三級片(さんかっぴん=ポルノ映画)出身なのだ)も道端雑誌屋で売っている。「愛7」の上半分を描いた板が上下さかさまに吊されて、職人さんが「逆、逆」とあわてて直しているのを眺めているとバスが来た。

Dec 1
■東京も大阪もロンドンもN.Y.もそうだろうけれど、香港もすっかりクリスマス一色。聖誕快楽(せんたんふぁいろっ)の文字がそこら中で踊っている。当地ではクリスマスから年の瀬までに大概一ヵ月以上間があくが、その期間はずっと歳末気分で、いいかげん飽きてきた頃合いにようやく農暦新年となる。今度の冬の場合、すべてが終わって通常に戻るのは来年2月の中旬過ぎだ。なんとなく浮かれた長いぬるい冬が今年も巡ってきたのです。気温はほぼ16〜21度をキープ中。
■2000年だミレニアムだとかまびすしい。そういうことは人類全てがドーム都市に住み銀色のチューブの中を超高速無重力カーで行き来してしょっちゅう火星に移民するひとが出るようになってから祝いたいですよ。だいたい21世紀ってのはそういう時代じゃなかったのかい。誰のせいだ<誰のせいでもないっす(戦争用の予算を科学技術開発用に使っていたら少しは違っていたか?そうでもなさげに感じるけれど、どうやって調べたらええんですかこんなこと)
■「知恵の樹」でんでんむしよりのろく読書中。ようやく神経システムの構造と特徴までたどりつく。まもなく認識すること本体へ至るはず。しかし途中からいかにも翻訳でございといった迷路文体になってきて、四苦八苦五里霧中。ノートをつけながら読む本だったなあ、これは。
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