xgag's
南国備忘録→下総備忘録
Nothing related to South China Sea regional/political issue.
Written in Japanese only.
diary index

21/Sep/04

昨日妹と姪たちを車で送った帰り、初めてひとりで高速道路を走った。時速100kmを超えている間、ここで事故ったらどれくらい木っ端微塵になるんだろうなあ、いや木っ端というより鉄屑と肉片だよ、いやいや待てよ燃えちゃうなら焦げカスか?車が燃える時の温度って普通の温度?などなどいやな想像を巡らせていただけ余裕もあったということにしておくのだ。もっと慣れたらもっといろいろ考え事が出来るようになるのかな。どうなのヒロシくん。

県内で最高40度を超えたころは、「おや今日は32度か、そんなに暑くないじゃないか」と余裕だった気温なのに、いったん涼しくなってからの真夏日は実にこたえる。喉元過ぎればなんとやらのはずが、やたらと胃でもたれるような、カラダに悪い暑さ。実際、いささか体調がおもわしくない。

子供の時分は「生まれた季節だから」という妙な理由で秋が好きだった。今なにか挙げるとしても何も思いつかない(けれど秋が嫌いなのではない。やはり好き)。冬と夏は憧れの対象。季節を憧れる、というのは変な云い方だけども、「好き」というより「憧れッス!(きらーん)」みたいな感じ。そして冬のことを考えるといつもむしょうに編みものがしたくなるのだ。実際は20年近くやってませんが。


14/Sep/04

不定期に香港に荷物を送る用事があって、中には割れモノも多く含まれるので必ずバブルシート(ぷちぷち)を使って梱包している。新品のぷちぷちばかりではコストも馬鹿にならないので、自分の手許にその割れモノが届いた時に包まれていた中古のぷちぷちも、主に荷物の隙間を埋めたり細かいものを包むのに使っている。しかし中古を再利用するには一旦ガムテープなどを剥して形を整えきれいにする作業が必要で、これがやたらと面倒だ。粘着力が妙に強いテープは剥がすに剥がれずシートが破けたり汚れが残ったりして、そのうち「ちくしょう、おまえなんか再利用してやらん!焼却場で息絶えるがいい!」とがしがし踏んづけ癇癪起こしてたりするわけですが、今日はもうそんな気力も無く、きれいにする前の中途半端な破れぷちぷちを荷物の隙間埋めに使ってしまった。
そこでふと考えたことに、この破れ中古ぷちぷちは、届いた先の香港ではきっとゴミとして扱われるだろう。近年リサイクル運動も出てきたとは言え、過去の経験から云って香港ではゴミはごっちゃになってろくに焼かれない気がする。ちゃんと処理されるものもあろうけれど、もしかしたらぷちぷちのまま、離島のどこかで堆積するゴミの山の仲間になるかもしれない。翻って、もし日本で燃えるゴミあるいはプラスチックゴミとして処理したら、きっと素直に燃やされるかおとなしくリサイクルされるだろう。てことは、これはもしかすると「処理されないゴミの海外輸出」になるのかしら。
例えば、きちんと機能するゴミ処理場がまだ無い国や地域に大量に援助物資などを送付する場合、それらを梱包している資材はちゃんと当地で処理処分出来る材質で出来たものにするべきだろうけど、それでもビニールとかプラスチックのゴミが大量に出るんじゃないのか。たとえすぐにはゴミにならず一時何かに使われるとしても、いつか破れたり割れたりするだろう。最終的にはどう処理しているんだろう。埋めてるのか。野焼きか。焼ききれず残ったものはどうなるのか。
で、今日の荷物はもう封しちゃったのでこのまま出します。

何故口内炎は自然に治っていくのでしょうか。人体の不思議。


10/Sep/04

人並みに旅行が好きで慣れているつもりでいるけれども、実際は「旅下手」かもしれない。
まあ「旅」にもいろいろな種目がございまして、がっちり準備と計画を重ね長期間に渡って移動する旅行が得意な選手もいれば、駅前のコンビニで缶のお茶とおにぎりだけ買ってぶらぶら電車に乗って日帰りする旅が得意な選手もいる。新体操の曲技のように華麗な瞬間技が繰り出される短時間の旅もあるし、ずーっと淡々と走りつづけるマラソンみたいな旅もある(たぶん)。長ければいい・遠ければいいというものでもなく、安いからいい・楽だからいいとも言いきれない。さて自分はどんな旅種目が得意なのか。
で、どうも運動音痴ならぬ旅音痴である気がする。旅運動に重要な冒険筋力が少ない気がする。雲南のジャングルで迷子になりかけたり、西蔵につながるグラスランドでいっそ失踪しようかと迷ったりはしたけど、それはたった一回の経験にしか過ぎない。たまたま一等になった徒競争の記憶をずっと抱いているような感じ。思い出ならそれで十分だけれど、実地の運動に役立つ経験をもっと積みたい。←積みゃあいいじゃんかゴタク並べてないで

口内炎のみならず胃痛まで来るとちょいと厄介ですわ。

こちら経由で知りました、伊藤彦造死去。ついこのあいだ弥生美術館に行ったばかり。カタログを迷って買わなかったのがやはり悔しい。追悼展があったら行きたいです。


08/Sep/04

こちらがいけなかったのだが連絡を取るてだてを失って数年、このままたまに思い出すだけなんだろうと思っていた知人が、すばらしく元気活発に書きこんでいるオープンな交換日記サイトを発見。まだこのHN(ていうかPN)を名乗っていたのか!まだあのひとのことが好きか!と半ば感動、半ば不思議に醒めた感じでしばらく過去日記ページまで遡って読んだ。もう連絡を取ることは無いかもしれない。それとも、いつか気が向いてメールアドレスを知りたいと思うかもしれない。

夕暮れ時、車がぼちぼちヘッドライトを点灯して走り出す頃合い。バス通り沿いの歩道を歩いていると、同じ道を向こうから五十がらみの女性がやってくる。すると女性の脇を走ってくる車のライトに背後から照らされて彼女の頭部がみごとに放射状に光り、「やあ、これは光背だなあ」「昔のひとも光背を見たのはこんな具合でだろうか」と連想が始まる。光を背負ってこっちにやってくる→向こうからわざわざ来てくれる仏さまと云えばやっぱり阿弥陀さまだろう→56億…と来たところで、はて56億何千万年後だったかな?と千万年代の数字が思い出せず、なんだよ面倒だな、だいたいなんで56億なんだ、もっと覚え易い数字にしたらいいのに。でもきっとこれはいろいろ理由あって計算した上で出た数に違いない。ボーサン連中はその計算式を学校で習うんだろうな。学科は何ていうのかな、さぞかし格好いい講座に違いない、教科書は縦書きかしら、でも縦書きだと計算が面倒ね。なにせ56億だし、と考えたあたりで時間切れ。コンビニに着いた。伊賀忍茶がほうじ茶とは知らなんだ。

ジャーともギャーともつかない声で鳴いてるのは鳥かしら。午前4時。


06/Sep/04

土曜の豪雨では、自宅からほんの目と花の先の道路が冠水したらしい。
噴火に豪雨に台風に地震と来ては、今年から日本に住み始めたばかりで「次は?次はナニですかー?」とドキドキしている人もいるかもしれない。

最近、なんとなく文通がしたくなった。ごく短いものでよいので、郵便で誰かから手紙を受け取りたい。その返事を便箋に書いて封筒に入れて切手を貼って投函したい。実際に始めたら、二、三度のやりとりで面倒になって止めてしまう気がするので、「今現在てもとにある便箋と封筒をぜんぶ使い終わるまで」の縛りをかけておくのがいい。手紙をやりとりするひとは、出来れば今まで会ったことが無くて、これからもとりたてて会う予定が無いひとがいい。メルアドの交換はしない。文通が終わる時に会いたくなっていたら、そりゃ勿論「んじゃ今度会おうぜ!」って書く。返事が来るかどうかはわからない。

運転中にラジオをかけていられるようになりました。でもまだ洋楽かクラシック。日本語の歌だと気が散るのだ。

英文で「遅れてごめんなさい」メールを書いていると、南国での残業時代を思い出して嫌な汗をかく。


04/Sep/04

断続的な豪雨と言っていいのか、激しい雷雨というか、大雨洪水警報が出るような凄い雨がずっと降っていて、深夜に止んだ。22時過ぎ、20秒程度の停電。徒歩10分圏内の地区にはいつのまにか避難勧告が出ていたらしい。最寄駅では電車が止まった。停電の後、ラジオはともあれ冷蔵庫も時刻合わせをやり直さないといけなかった。喋る冷蔵庫だから。

体調やや下り気味の昨日夜明け前、もう寝ないといけない時間になってふと思い立ち検索したナポソロのslash novelサイト。そこを経由して辿りついた某ハンナバーバラアニメのそれ系(ってどれ系だ)サイト。あれこれ読んでいるうちに当たり前だが朝になり昼になり、いっそ一気呵成の勢いでなんでもかんでも読破した余波がまだ響いている。脚が馬鹿みたいに浮腫んでいる。痛いなあ、と思いつつ今日はアメリカまでぼちぼち読みにいった。でもその手の単語をあまり知らないので、今一つピンとこない。そしてあちらの腐女子さんが書くそういったシーンは、具体的な設定はともあれとても明るく真っ直ぐで愛にあふれていて、眩しくすらある。
でもまあ、とりあえずImpossiblesはマイフリで。

たいへん不謹慎極まることながら、悲愴な無表情(なんて有り得るのか)で俯く黒タートルに黒ジャケのワロージャ萌え。

All you need, or all you need to give, is love, maybe, maybe.


02/Sep/04

鞄にしろスーツにしろブランド物のひとつやふたつは持っていても笑われない、と言うか、寧ろふたつやみっつは持ってなよ持ってた方がいいって!な年齢。しかし大袈裟なものは持っていない。勿論そんな靴や鞄やあれやこれやに憧れもするし、運がよければ誰かに買ってもらうなんてのも人生に何度起きてもいいと思っている。だが実際にそれじゃあと自分の財布を握ってブツを買いにいくなり運を転がして誰かに買ってもらうでもない。それはブツの値段が高いからではない。例えば、読んだ方がいいよ読んでおかないとダメだって読んでないなんてアリエネエ!な本も、それじゃあと買いにいくなり借りてくるなりして実際にページを捲るひとは少ない、のと似た理由だ。つまり面倒なのだ。ていうよりものぐさなの。

最近、俄かにサトエリが好きですが何故だかわかりません。お餅っぽいから?顔とかお尻のあたりが餅細工(なんて言葉があるとしたら)っぽくないですか。

隣家が全面改築することになり昨日から解体工事が始まった。今日はショベルカーが登場して、一日中壁や屋根を壊していた。その時の、めりめりぼきぼきぐわんばりばりという音が、聞いていて嫌ではなかった。然るに、物理的に何かの形が壊れる際に聞こえる音は、綺麗ではないけれども不快なことも少ない。ガラスが割れる、鉛筆の芯や木の枝が折れる、布が裂ける、金属がへしゃげる、ときの音。不快なのはその音が示す意味を考えたあとの話だ。


01/Sep/04

この夏の思ひ出:台風や大雨の被害が酷かった。誘拐され殺されてしまう人質が何人かいた。深紅の大優勝旗が津軽海峡を越えた。自分はすこし太ってすこし痩せた。日焼け止めを塗るのをすっかり忘れて、まともに赤くなってから背中の皮ががんがん剥けた。20年ぶりくらいに。

「まいにち少しでもいいから前にすすもう」とよく云うけれども、体感距離としてそれはどれくらいか。を、具体的に測定できる機械があるとしましたら「とりあえず今日は洗濯したよ、洗濯は大事だからなッ」で5ミリ、「奇跡的に夏物と冬物を半分は入れ替えたでござる」なら3メートル。でも「乾いたのを畳んで仕舞うのが出来なかった」から40センチ後退。あたりを見まわすといっきに100メートルかそこらを飛ぶが如く進んでゆく(ように自分には体感される)ひともいる。

茶房に行くのはとても好きなのだけど、ひとりで巧くその時間をこなせることが少ない。先日、ちょいと休憩しようと下北沢の「花泥棒」という名の珈琲屋に入ってカウンターに坐って、せっかくなのでちゃんと飲んだことがないベトナム珈琲を選んだらどうにも落ち着かない。店が悪いのではなく、どうやら自分がその時間・場所・のみもののどれかにそぐっていないのがわかる。それでも、そのそぐわなさをつっぱねずに黙って放っておいてくれる雰囲気のある店で幸いだった。まるで知らなそうな顔をしてそういう店をいくつも知っているひとは格好いい。

「そぐってる」「そぐった時」「そぐえ」「そぐおう」なんて滅多に云わなくて、「そぐわない」という活用でばかり使うけれども、元は自動詞5段活用の「そぐう」。


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