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南 国 備 忘 録
Nothing related to South China Sea regional/political issue.
Written in Japanese only.
diary index

29-31/AUG/03

アタクシが男だったらこのひとに喝を入れてもらいたい、と思える人物(男性)が故人も含めて何人かいるけれども、それは私が女だから彼等を選ぶのだろうか。逆に殿方にとって「俺がオンナだったらこのひとに叱られたい(or甘えたい、ドツカれたい、激励されたい)な」と思う女性なんているのだろうか。男のひとってそういう考え方はしないもの?

NHKアーカイブスで「なぞの転校生」。このテーマ曲ときたら、私の(あるいは私と同世代の人々の)脳味噌のいったいどれほど深くいりくんだ場所に剥しようもなく染みていることだろう。NHK少年ドラマシリーズのあれこれを、まさしく少年少女時代に見ることが出来たひとは幸運だったと思います。

それにしても今年も残すところあと4ヶ月、と気づいて愕然としているところだよヒロシくん。
最近よく考えているのは、老いてゆくとはどういうことか、ということです。自分の問題ではなく、主に目の前にいるひとたちの問題として。たぶんちゃんとした知識を蓄えた方がいいのだと思うけれど、なかなか気力が出ない。そうやってみんな過ごしていくものなのかしら。

南国には年内にもう一度行く予定です。


04-28/AUG/03

10年ぶりの冷夏とな。

スクーリングは都合6日間しか通いませんでした。それでも随分疲労困憊。準備不足でガッコウに行くことほどカッコ悪いことはない、と20年ぶりくらいに痛感。他にヲタクの祭典と、端から見るとそうでもないけれども別の意味ではやっぱりヲタクの祭典であるイベントに参加。ともあれ自分の体力をマネジメントすることにもっと上手にならなければいけない。
本。『陰摩羅鬼の瑕』はまだ読めていません。いっそ最初から外伝まですべて読みなおし、その勢いをかって新作へイきたいと思ったからですが、しかし『宴の始末』までが引越荷物の中で無理(引っ越して一年以上経つのにまだダンボール詰めの本の山!)。かといって他を読んでいるわけでもなく、はていったい何に時間を費やしているのか。
コミックスでは『木島日記』の3・4巻を購入。これも1・2巻から通して、むろんのこと『北神伝奇』も合わせてじっくり読みなおしたいが、これまた引越荷物の奥底に眠っているのだった。しかし『木島―』がこれで終わられては、森美夏(まをまりお)さんをまっとうに追いかける術が他に見当たらなくて困ります。

ひじょうに胡乱なメモ:工業デザインは「表現」の範囲にどんな割合で・どんな濃度で・どんな意味を以ってonしているのか。
エノラ・ゲイ完全復刻のニュースで見たぴかぴかに光る機体。飛行機はたいがい丸くて細長い胴体を持つ、あの形はどれくらいが表現でどれくらいがそうではないもので占められているか。
新幹線や自動車にはデザイナーがいるが、ロケットにはデザイナーはいるのですか?ミサイルはどうだろうか?ミサイルはデザイナーが設計するのではないとして、設計図をひくひとは誰の何を表現しているのか?
葉っぱの形状に各々のデザイナーがいないのにたいがい丸くて細長いのと同じ原理で、いくつかの工業製品は修飾を削ぎ落とされている、カセットテープの大きさやCDの直径などのようなレベルで(プリントされる意匠を得るまでは)。では無印良品のカオナシなアレらはすっかり何か(ややバタくさい何か)を表現しているようにも感じるけれども、それは気のせいか。

中学の理科の副教本で、はじめて火星の地表写真をカラーで見た。「空が白いじゃん!なんで?」と思ったような記憶がある。火星の空は真っ赤なもんだと決めてかかっていたのかなあ。


29/JUL-03/AUG/03

夏季スクーリングの季節となりまして、毎日5時間余りかけて下総と武蔵野を往復している。時間が足りないままの勢いで早朝のグリーン車や夜の特急に乗る(そして課題のアテを考える)ので交通費がシャレにならん。しかし講義はたいへんに面白いです。ぼんやり拾い集めてあった知識(というほどの立派なものでもない、ハギレのような「知っていること・覚えていること」)をいちまいの布に仕立てるのは、自分ひとりでやろうとしても生半なことでは叶わない。ひとの声が唱える言葉でようやく織りがすすむ、これがすげえキモチイイ。やってることは切ったり貼ったり線を引いたりと小学生の工作並みで、これまた楽しい。何年かぶりにカッティングボードを購入しました。

二十数年前に住んでいた船橋市内の団地へでかけた。
その建物は今も夢にときどき出てくる。「そこへ帰らないといけない」場所。だが私が乗った電車は必ず逆方向へ走っていき、家人に連絡をとろうとしても電話番号(30ケタぐらいある)をどうしても正しく押せず、ようやく辿り着いてみれば見知らぬ他人が住んでいてこちらはアジトを見つけられたスパイみたいに挙動不審になる。
その建物のそばに立ってみた。夢よりもっとあやふやなネジレっぽいものの中にするん、と入りこんだような感じがした。カメラを構える自分はしっかり目が覚めていて「ああここでおもいっきり転んだな」「この鉄棒、とうとう逆上がりが出来なかったな」「ここの階段から下を眺めて遊んだな」と回想している、そのこと自体はひとつもオカシイところはない、が、どうもそのオカシクなさ自体が「嘘だろ?」と訝しがっている。
蛍を取ったことがある近所の藪野原が今も健在だったのは驚いた。すっかり下草が刈られて健全な姿になっていたけれども、たぶん私がヒミツキチを建設したかった木はまだ生えている。


24-28/JUL/03

今年は桃は来ないよ、と云われて諦めていたのにどういう具合でか2箱も届き、毎日が桃三昧。ももざんまい。モモザンマイ。…あんまりえろくないなこの字面。
そのまま頂いてもいいけれど、適当にスライスした桃の身に、凍ってシャーベット状になったプラムの削り滓(ピックやスプーンで突ついて削るのでまさに「カス」状態、しかし柘榴色と申しますか深いルビー色と申しますかたいへん美しい)に市販の杏仁豆腐とシロップを適当に加えて「にせフルーツポンチ」を作ってみるとなかなかにいける。杏露酒か桂花陳酒を少々加えてみたいところ。

私は地割れ型だ。目前の事柄だけをごろごろ地表を転がるように考えている(むろんボールが颯爽と転がるようにではなく、トドが陸に上がってふて腐れて家に帰る時ぐらいのスピードで考えている)と、不意にぱくっと地が裂けている。
洗面器型(ちゃんと縁があってどれくらい水を汲めるか目分量も出来て、持ち運べる上にカーヴの形もなんとなく頭よさそう)がいいんじゃないかなあと思うんだけど、これはちゃんと訓練を積んだひとが会得するトロフィーのようなものかもしれない。

ベランダに小さい蜘蛛が巣を張る。何度はらってもいつのまにか巣を張る。ずいぶん綺麗な形に作ってあるので、はらうのがだんだん気の毒になってくるけれども、その気の毒さっぷりをスコーンとこっちに打ち返してくるくらい、蜘蛛の巣ってのは重量がありませんな! 空中に張っている蜘蛛の糸を指で千切る時の抵抗と同じくらいの重さって他にある?

ここ暫くはお酒をぱったり控えているので、たまに呑むと酔いやすく、かつ酔いが名残るようになりました。ビールや発泡酒、サワー、チューハイ系があまり呑めなくなってきた。夏なのにー。


22-23/JUL/03

日本の住所をどこにどう登録してきたかも忘れたが香港政府税務局(Inland Revenue Dept)から唐突に書類が届き「おいおい今頃追加徴税ってか?」とびびって開封したところ、小切手でHK$3000(およそ45000円程度)の税金リファンドである。SARS禍などで低迷する域内経済を活性化するため香港市民全員(のうち税金を納めたひと)を対象にした還付措置らしいが、2001/02年度を基にしたので私のところにも戻ってきたものと思われる。香港政庁もそれほどの金持ちでもないと思うがずいぶん太っ腹なことですよ。

ほんとうに出るのか『陰摩羅鬼の瑕』(←漢字を覚える根性は失せたのでコピー&ペースト)。関口の台詞がたくさんありますように。

94年の秋か冬だったと思う。雨が降っていた(あるいはずっと降っていて、止んだばかりだった)。JR恵比寿駅で電車を待っていた。ホームの壁あるいは柱が、何かの都合で緑色の化繊ネットによって覆われていて、雨の雫が透明なちいさい数珠になって緑色の網目にちょろちょろと並んでいた。それを眺めていると不意に、しかしたいへん自然に、なんの躊躇もなくひとつの問いが浮かんだ。「意味とはなにか」。あたくしの生涯の連れ添いはこのフレーズである。
問いの形にはなっているが、爾来ずっと答えを探しているわけでもないから未だに見当はつかない。例えば歯を磨く、髪を洗う、お腹が空く、文字を読む、映像が見たくなる、やわらかくあたたかいものを抱きたくなる、言葉をひねる、誰かの言葉に耳を傾ける、といった現象や行為のそれぞれに意味があるのではなく、後から与えられるのでもなく、もっと中途半端な・曖昧でいささかだらしないくらいの機構(システム)がどこかにあると思っている(システムがだらしなくていいのかな)。色・かたち・大きさ・重さが表現するなにか、のようなもの(「なにか」というのは便利な言葉です)。言葉ではないもの(日本語って(・∀・)イイ !)。しかし言葉以外の手段で記録するのはかなり難しい。よって時にこれは弁明のタシにもなる(玩具をねだる子供が理由を尋ねられて「だって欲しいんだもん」と答えるようなもの)。

おしりに火がつきましたです。ヤヴァイです。(いつもこれだよヒロシくん!)
でも『ヒカ碁』を読んじゃう。脳内ではめっきり緒方×ヒカルですがこれはイバラの道なのかしら。


17-21/JUL/03

下総の梅雨はいつ明けるのでしょーかー。もう飽きた。

ニヒルであること、クールなこと、シビアであること、ストイックなこと。の、それぞれをしみじみと理解し、かつ他者にもじょうずにその違いを説明できるようになりたい。これらは例えば「林檎と蜜柑と桃と西瓜」のように、並列することが可能な全く異質なもの同士ではない(と思う)、が、「林檎の芯と林檎」のように、何かがどれかの内側に完全に包まれているのでもない。たぶん。「甘さと砂糖」とか「辛さと唐辛子」とも違う(ような気がする)。

『ヒカルの碁』と『最遊紀』を中古コミックスで読み始めた。ストーリー展開がかなり無縫で穴だらけ(に私には見える)の後者を読みつつ腹の中にたまっていく澱の重さ、これが快感だったのはいったいいつの頃かしらと変なところでばあやは感慨に耽るのである。まあなんだ、あと25年早く読んでたら同人誌の1〜2冊は作ってたかもしれん。

ぎりぎりまで何もしない属性も生涯治らない。課題をおさらいするのも怖いし、鉛筆や紙などを買いに帝都に出るのも辛い。はやばやと落第決定な予感。ヒロシくんもお手上げ状態。


13-16/JUL/03

果樹園経営の親戚筋に期待していた桃が今年は不作とのこと。替わりにプラムがたくさん届いた。方々に配ったり冷蔵庫に入れたりしているが、試しに皮を剥いてひとくちサイズにスライスしたものをタッパーに入れて冷凍し、食後に頂いたら酸っぱ甘くて冷たくてさっぱりしてて、たいへんイケるのでございます。ポイントは食事を始める前に冷凍庫から出して自然解凍しておくこと。1時間後ぐらいに、ちょうどよい具合のシャリシャリしゅわー状態に。あんまり酸っぱくてダメなひとは蜜柑の缶詰シロップと一緒にしてもおいしいかも。

二日続けて夕方散歩に1時間余り。途中で近所の工業団地のわき道を歩く。電線や電機メーカーの巨大な工場や、化学系なのか鉄工関係なのかよくわからない錆びた平屋建てのビルなどがもったりと続く裏道(生えているのはセイタカアワダチソウとドクダミとへんな蔓が延びる草)の辻に、その先にある会社の案内看板がいくつか立っていて、○○ポリマーとか△△電化とか□□化学といった中にひとつだけ「××生理学研究所」とあるのが妙にかっこいい、だがもっとも日に焼けて色がすすけてしょぼくれている。その名前を覚えておいて帰宅後に検索したら、なにやら特許も申請している注目の創薬系バイオベンチャー企業だった。

ベンチャーしてますか。


11-12/JUL/03

最近になってまた心境にいささかの変化がある。最近というのはだいたい今年の桜が咲いたあたりで、その頃から今にいたるまでになんとなく始まって続いているカンジ。嫌な感覚ではないが、晴れ晴れと道が拓け空高くエネルギー充填120%対ショック対閃光防御!な状態でもない。例えば「スタンス」という言葉を普通の暮らしでしばしば使うけれども、これを日本語に置き換えた場合に用いる文字はひとによって異なるはずで、私だったらこの漢字とこの漢字を使うかなあ?とぼちぼち選び始めた、ようなカンジ。

しばらく逢っていないひとの夢を見た。目が覚めてから、これはどう自分にツッコミを入れたら理が通るんだろうとシラフで考えてみた。考えている自分のぼんやり具合を半ば楽しみながら。

おたくビルでの収穫。3畳にも足りないスペースの8割は謎の切りぬきやレコードやビデオやさまざまなコレクションで埋もれている店(一見すると、まあ倉庫かゴミ捨て場だ)で買ったおたくアイテムで夜更かし。こういう習性は生涯治らないだろう。


10/JUL/03

ちょうど11歳から12歳にかけての過去の自分に、今となっては怖さを覚えるある奇癖があったことを思い出しました。私はひとの首を自分の両手で締めるのが好きだったです。しかも大好きな友達の首に限って締めたかった。もちろん傷つけるためではなく。

豆腐ハンバーグを作ろう!ということになり、かなり適当にやってみたら成功したのでご機嫌。

でも、自分が「ひとを殺すコドモ」にならなかったのはどうしてだろう、という問いかけにうまく答えられる自分はまだ居ない(いつか現れてさらさらとよどみなく答えるのかも知らない)。


04-09/JUL/03

腰痛というより右脚の付け根の内側しかも骨盤に護られたあたりの痛みである。たいがい治まったと思い二日ほどえっさほいさと散歩に精を出したら一気にぶり返して、痛いわしょげるわで散々である。しばらくおとなしくしている。

母にインタビュウして親戚筋の簡単な系譜メモを取る。私の両親はともに長男長女ではなく、両方の親(私にとっては祖父母)とも同居しなかった上に、母方の親戚が多く住む都内や父の田舎の佐賀とは家が離れていたこともあり、子供の頃に従兄弟・従姉妹連中としばしば遊んだことのほかは親戚付き合いというものが滅多にないまま今に至っている。それはそれで構わないのだけれど、最近になってどうも親との会話に「山梨の○○ちゃん(母の従兄弟)が」とか「塩田(佐賀県)のおねえさんが」という話が頻繁に登場するようになって、しかも母の父方と母の母方(ややこしいな)が互いに親戚だったりして、どの大伯父さんがどの大叔母さんを嫁にしたかなぞそのたびごとに確かめているのが面倒になったので、家系譜もどきメモを取ったのである。
以前にも話は聞いたことがあったが、私から見て母方の大叔父にあたるひとが中国で戦死している。軍人だったという。当時ずいぶん立派な慰霊碑が村に建てられたそうで、そういう話が自分と血のつながったひとの出来事として母の口から語られるのを存外に自然に聞いている。
そして世間の流行にはとんと疎い父はようやく「佐賀県が最近ブームらしいな?」と気づいてなんだか機嫌がいいが、それが歌であることはまだ把握していない模様である。


27/JUN-03/JUL/03

南国メモ続き。
27日金曜の打ち合わせ後、銅鑼灣の上海一品香にて小龍包、白菜仔炒め、魚香茄子と豆沙鍋餅の夕ごはん。小龍包はやっぱり美味しいです。食事の後に立寄ったagnis b.にて薄いブルー地に銀文字の腕時計とまーるいフォルムの黒い旅行鞄を衝動買いしたところ、パークレーン二泊分がついてきた(現在香港パークレーンホテルに直結した各ショップでHK$1500以上のお買い物をされますと、もれなく無料一泊分バウチャをプレゼント中だそうです。但しID holderに限る。ホテル業界の挽回策なのかホテル業界への救援策なのかはわからない)。そのうち一泊分を使って連泊に予定変更。部屋のテレビでネットに接続できるのでメールチェックなど。
28日土曜は近場のSTBUXでブランチの後、いったん香港仔のネジロに戻る。帆立の貝柱を2斤ほど(約9000円程度。日本産なのに香港で買う方が半値近くまで安い)と生ライチを1斤(大粒が40個くらいで約150円)、お土産のTシャツなどを購入。荷物をまとめてからホテルへ再度出発。MUJIでノートやら目覚まし時計やらこまごまと購入。たまに東京さ出てもなかなか無印良品に行けねのす、香港に来る方が近いんだよう、と言い訳したらちょっぴり白い目で見られた。夕ごはんは最近オープンしたという四川料理レストラン「満江紅川麺火鍋館」で唐辛子と山椒漬けになり、本当に口が閉まらなくなる。帰りに中華デパートで土産の紹興酒、今回は8年ものと10年ものにしてみた。
29日日曜早朝にホテルを出たが、空港直行バスの予約が取れなかったのでタクシーでMTRの香港駅へ。そこでチェックインを済ませ、機場快線にてさっさと到着した空港で妙に時間が余る。ゲート手前のショッピングエリア片隅のデリ店内にフリーのネット接続済みPCを見つけてメールチェックなど。帰りはずっと窓の外を眺めていた。台湾の真上を飛ぶので地形の変化が面白いです。
買うのを忘れたり迷ったもの:赤酢。いくつかのCD。ビートルズアンソロジーのDVDセット。
追加メモ:成田の第2ターミナル内側(外側か?出国審査を済ませた後のロビー内部)にYahoo!cafeが出来ていた。何故か無料でございます(パスポートなどのコピーを取るだけ)。

おぼろに原因に思い至る腰痛がなかなか治らないので、ジムの上階にあるお風呂屋さんに行く。梅雨どきの平日の午後、こんな田舎都市の駅前湯屋の半露天風呂でじっとしているシアワセ。
それから、髪を染めて少し切った。ヒールのあるデニム地のサンダルを買った。
こころがまえとしての、夏準備。


20-26/JUN/03

22日日曜深夜から半年ぶりの南国に居ります。きちんと蒸し暑い。下総や東京の夏の蒸し暑さよりずっと濃く圧縮されてのしかかってくるような蒸し加減に感じる。先日ようやくWHOの渡航延期勧告が解除されたが、だいぶん前から街中の様子は元通りだったらしい。見たところ未だマスクをしているひとは食堂やレストランやホテルのサービス関係にほぼ限られている。飛行機はまだ空いているかと思ったらそうでもなく、ワタクシはいわゆる格安航空券を購入したが航空会社側のどういう見こみ違いかダブルブッキングに遭い、無料でビジネスクラスに席替えの幸運を味わう。でもエンジンの真上の席でちょっとうるさかったです。座席に付属した画面でテレビゲームをやっているうちに到着してしまった。

以下メモ:
23日月曜は二度寝で昼近くに起き、勝手知ったるスーパーで食料を仕入れるところから活動開始。地元のアクセスポイントが死んでいるので無料国際ローミングにならないことを発見。仕事の続きをぼちぼち進めて、銅鑼灣の美味厨で排骨菜飯と酸辣湯、鍋貼の夕ごはん。貿易中心のSTBUXで休んでから117番で海を潜って香港コロシアムへ。多才さまと弟さんが15年前とほぼ同じビジュアルで登場して腰をぬかす(が、後日CDショップに貼られたポスターをよく観察したところ、両人ともちゃんと生え際が後退しているようなので安心する←していいのかどうかは別問題)。
24日火曜は正午手前あたりから出発し、銅鑼灣の美心酒楼にて久々にまっとうな飲茶で腹ごしらえ。地下鉄で海をくぐって油塘駅下車、タクシーで永遠墳場へお墓参り(すぐそばでびっくり)。天晴れなピーカンで、無人の不思議灼熱空間から望むジャンクベイは翡翠色のグラデーションもたいそう美しい、でもとにかく暑い。墓石にスーパーで買った冷たい蒸留水をかけ、早早に下山しつつ途中でタクシーをつかまえ観塘へ出る。小巴で旺角へ往き、おたくビル偵察につきあう。バスで海をくぐって銅鑼灣に戻り、会員制喫茶店をのぞき、某所でマッサージ。激痛に声も出ない。夕ごはんは「あえて」火鍋。豆腐入り清湯と台湾麻辣湯の鴛鴦底にしたが、辛い方はほとんどギブアップ。
25日水曜は約束の時間までひたすらエクセルや書類と格闘。時間ギレで小巴で灣仔へ出る。ミーティングの後、銅鑼灣のリーガルホテルで会食。南国のナの字も無い。
26日木曜は昼過ぎから稼動。70番で中環へ往き、通りがかりの文華酒店で久々に缶めあてにチョコケーキを購入。恒生銀行HQで所用を足し、104番で海をくぐって旺角へ。めぼしをつけていたブツをおたくビルでいくつか購入。夕ご飯は近所の潮州料理食堂で。西蘭花の大蒜炒め、烏賊の塩胡椒にんにく揚げ、牡蠣入り卵揚げなど。
27日金曜も昼過ぎから稼動。のんびりメールチェックや調べ物など。夕方から再び小巴で灣仔へ出て用事を足してから、銅鑼灣のパークレーンに泊まる予定。


31/MAY-19/JUN/03

6月の頭、ご縁あって京都と大阪へ行った。京都では自転車をこぎまくった。上ルと云うのはほんとうに傾斜があってのことだと体感し、下ルと云えばなるほど楽ちんな気がした。品性卑しからぬ、大概おつむのよろしかろう学生さんしか見当たらない隠れ家のような喫茶店で、サラダパンをかじる謎のばあやになった。壬生の屯所跡から晴明神社まで、平安から幕末までおなじ街に残っているのがなにしろ羨ましいが、晴明神社は平成の世にリニューアルしていた。
舞台を見るのはずいぶん久しぶりで、香港で観たタカラヅカや西蔵ダンス劇を除けば、たぶん『毛皮のマリー』以来のこと。ステージ独特のマ、aliveゆえの磁性のようなものはやはり良い。

母方の親戚に山梨で果樹園を経営している一家があり、春から夏のあいだはあれこれと送ってもらっている。今年もさくらんぼをたくさん食べました。子供の頃と違って、好きなだけ頬張れるのが快感。くだものが美味しい時のおいしさは、肉や魚が美味しい時のそれとは違う。とてもしみじみとした嬉しさのようなもの。肉や魚が美味しい時のおいしさは、もっとずどんと艶っぽい。次は桃かなー。ふふ。

南国へ往く前に大汗かいて引越荷物並みの発送を済ませ、電話でせっつかれながらinvoiceを作ってfax。ますます儲からないSOHOめいてまいりました。


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