トーベ・ヤンソン死去の報に二重ショック(ひとつは、「え、まだこの世にいたの」という甚だ失礼な驚き。ふたつめは、「うそ!しんじゃったの!」という単純な喪失感)。まあ齢八十を越えていては天寿をまっとうされたことになるんだろうけれども、一方でリンドグレーン(94歳、健在)の妹さんが 90歳で作家デビューしているのは、どういう神様の計画なのか。90歳で作家デビューって素敵。
はて、北欧の女ってよくない?北欧の女って。おばあさんになったら、ものすごくヨサゲなおばあさんになってそうじゃない?ひょっとすると魔法のひとつも使えそうなおばあさんに。「ほほほ、今日はりんごのサイダーを作ってるのよ」なんてもごもご云いながら木箆でこんこん叩いたかぼちゃも同じ声で「ほほほ」って喋るとかそういう(<小学校中学年向き)。でもほら、イギリスのおばあさんより白魔法っぽくない?イギリスのおばあさんって、どうかするとかなり怖いよね?黒マントとか着ちゃったら最高じゃない?
てことでこれから(会社で仕事してから)一路西安へ。中国西北航空ははたして「Perhaps I arrive」なサスペンス航空機を使っているのだろうか。
シ、シヌ。ダレカコノせきヲトメテクレ。
午前の黄色警報から午後には紅色警報に。空が破けてだだ洩れ、と云うよりも、積極的に果敢に排水活動に勤しんでいるような大雨。今年はほんとうによく降ります。
しかしそんなことより喉が問題なのだ。職場であまりにみっともなく咳きこんでいるのを見かねて、新人同僚のマダムEが「よく効くのよ、有名よコレ」と『金[口桑]子喉寶(Golden Throat)』というのど飴を恵んでくれた。中国は広西省柳州市で製造している薬用のど飴。一日6回・一回一粒まで(つまり4時間に一粒の服用)と注意書きにあるけれど、舐めるとぴたりと咳が止まるまほうのクスリ。た、たまんねえッス。4時間も待ってらんねえ。一箱一気にイッちゃったらダメっすかね?のど飴の舐めすぎで死ぬのは「ナニ死」になるんスかね?
今日もまたずいぶんな雨降りだったけれど、湿気は喉のためにはありがたい。いったい咳のしすぎで死ぬのは「ナニ死」と呼ばれるんでしょうか。咳をしていない時間よりしている時間の方が多くなったら、まず腹筋から先に酷使のあまり死んでゆきそうな気がする。今日いちにちでかなり腹筋を鍛えたざます。咳でダイエット。だめだ。
「幼女の匂い」って確かにありますよね?乳児でも少女でもなくて、幼女の。世にも微妙な。そして幼女のオトコノコ版(「少女」に対する「少年」のようなもの)は何と呼ぶのですか。「幼児」?でもこれには男女両方が含まれるような。もしかしてオトコノコは乳児からいきなり少年になるのかい。へんな生き物だよ。
諸般の事情によりかなり早い夏休みとなり、6/16〜25と一時帰国しておりました。関東は梅雨まっさかりでずいぶんな湿気であることよと皆さんおっしゃいますが、あんなの南国に比べたら(比べるな)ちょろすぎます。ていうかあたくし喉を痛めました。東京乾燥しすぎだヨ。そしてニホンの電車みんな冷房弱いヨ!なんで京急も京成もJRもあんなに冷房弱いのカ?車内室温15℃にしろ?当然だロ?
本を買いました。『nature news&views知の創造(1)(2)(徳間書店)』『表象のディスクール1 表象(小林康夫・松浦寿輝編/東京大学出版会)』『スパイダー・ワールド(コリン・ウィルソン/講談社ノベルス)』『幕末維新解体新書(光栄)』『大江戸美味草紙(杉浦日向子/新潮文庫)』『新編 江戸幻想文学誌(高田衛/ちくま学芸文庫)』『「いき」の構造(九鬼周造/岩波文庫)』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド上・下(村上春樹/新潮文庫)』『対談 中世の再発見(網野善彦+阿部謹也/平凡社ライブラリー)』、それにicの37号と、広告批評の'00年10月号(CMディレクター特集)と最新号(CMベスト100特集)。重さで計れば圧倒的に理系(「知の創造」計2冊は、2階から頭上に落下させれば人間を十分殺せそうなくらい重い)。コリン・ウィルソンはちょっと早まったかも、と思ってます。
映画『メトロポリス』を見ました。「りん節」と「大友節」が交互に明滅していて、いささか座りが悪い(のはアニメとしては致命的かもしれん)けれど、やたらと綺麗で贅沢な映像で、「個人的夏休み映画」テキにはヨかった。主役のオトコノコの声がもうちょっと冷たく・硬くてもよかったな。
『ねじまき鳥クロニクル』は目標どおり旅行中に読了。予想どおりにカタルシスは無く、不満も不快も無く。非常にオゴった云い方をしますが、なんだか自分が書いた(しかもすこしじょうずに書けた)文章を延々読んでいるような気分がずっと消えなかったです(何様)。しかしとにもかくにも本を読むことがまた始められそうなのでありがたい。数人からお薦めを受けた「世界の終わりと〜」を買ったのはその御礼。
本と饅頭でいっぱいのカバンを抱えてよろよろ帰りついた香港は、ちょうど大雨の隙間にはさまっていて、断続的にざらざら降ったりやんだりしている。週末の西安へむけて明日から残業必至。
合言葉は「思い立ったが吉日」てことです。
12日は夜明け前にまた紅色警報が出て、2時間ほどで黄色に戻った。午後に激しい雷雨、夕方になるとあっさりと雲が引き、日が差した。13日も朝から黄色警報で、日中は窓をふりむくたびにがらりがらりと雲の様子が変わっている。昼過ぎはしっかり晴れていたのに一時間後には夜のような闇色の雲、そして雷。どうも雲と雨と風の神様がミキサーに香港を入れていたずらにオン/オフを繰り返している模様。地上では、物質的な・体積的な・手で形をなぞれそうな「湿気」があたりを支配している。ぬるいお湯の中を歩いているのと似ている。
今年初のライチをいただく。ライチは香港のお隣シンセンが本場。この時期、採れたての生ライチがどんどん香港に入ってきます。6月に香港においでになることがあったら、ぜひ街角の果物屋で枝や葉っぱがついたままのを買ってみてください(量り売りしているはず。いぼいぼの固い皮が緑と赤褐色のグラデーションになっていて、萎んでいない元気のいいやつを選びましょう)。そのままでもいいし、少し冷やして食べても美味しいです。乳白色でやわらかい実はとても汁気があって、さっぱりと甘くて、どことなくなつかしい味です。ちなみに発音は「ライチ」よりは「ライヂ〜?(問いかけるように語尾が少し上がる)」に近いと思います。
月末の連休に西安へ行くことになった。10年前に見はぐった兵馬傭を観覧する予定。西安といえば西域の東の端でござるよ、とにやにやしていたら一緒に行くひとに「そのまま姿消しちゃうのも一興だ」と云われた。云われた途端にたまらなく懐かしくなって、背中に置きっぱなしの記憶だったはずの西域が、急に自分の前方にぐるりと(舞台装置が廻るように)動いてきた錯覚がある。錯覚じゃなかったらおもしろいなあ。
紅色警報は月曜に復活、まだまだ雨・雨・雨。しかし午後遅くに雲がするりと抜け、ふいに蒼空が見えた。
『ねじまき鳥』は1984年に執筆されている。1984年って何をしてたっけ?と首をひねってひとつ思い出したのは、セントラルパークを東に向かって歩いているつもりが北に向かって歩いて迷子になり、リスとしかすれ違わない林を迷走した果てにメトロポリタンのお勝手口みたいなところに辿り着いてなんとか生還したこと。
“オクラホマ168人殺し”犯への薬物注射による死刑執行。塩化ペントサル(による意識不明)→臭化パンクロニウム(による呼吸停止)→塩化カリウム(による心臓停止)。この順番を考えたひとは、順番が認められた後に何を考えたかなあ。「順番間違えたらだめだよ」ってことかな。
訂正:『珍珠灣』ではなく『珍珠港』でした。
39!
紅色警報はその翌日も出て、ひたすら雨が降り続けた。新界の農村地区では床上浸水・しかも大の男の胸あたりまで水かさが増すような被害が出た模様。大雨のため外出を少し待っている間に見た土曜午前のTVBは「おじゃ魔女ドレミ」「TO HEART」「カードキャプターさくら」(全て広東語吹替)と連続放映中。マルチが動いてるところを初めて見た。翌日曜にはなんとか雨はあがったものの雲は晴れないまま。気温は30℃を下回っているけれど、湿度が高いぶん快適にはほど遠い。体調↓のせいもあり、日曜はずっとずっと横になっていた。湿気た6月の、しかも曇ってどんより暗い日曜午後にぐったり眠って見る夢ってどうあるべきでしょうか。
『ねじまき鳥クロニクル』の第1部(全体で第3部まである)「泥棒かさかぎ編」を無事読み終わる。みごと第3部まで読み終えた時にちゃんとカタルシスを得られる物語なのかどうか皆目見当がつかないが、とりあえず明日会社に行ったら第2部を借りよう。
JAZZを流しっぱなしにするのは気持ちがよい。刺身とか酢の物とかニガ瓜を美味しいなあと思えるようになったのと同じように、JAZZが気持ちよいなあと思えるようになったのはよかった。
三日連続黄色警報(Umber singnal)のどしゃ降りの中出勤したが、歩き出して1分もしないうちにずぶ濡れ。警報はまもなく紅色警報(Red singal)にランクアップした。
ちょっと怖いものをふたつ見た。ひとつは、墨色の雲が切れたところにぼがん、と現れた十六夜の月。十六夜の月はでかく、でかいだけではなくてすぐそばに居る。もうひとつは、誰もいなくなった階に上ってきたエレベータ。箱本体が所定の位置に止まる前に扉が開き始めて、床がすーっとこちらに向かってのぼってくるところが見えた。
無糖ガム・ねじまき鳥との静かな闘いはなんとか続いている。たぶんこのままいけそうな予感。
黄色警報でずっぱりな大雨の一日。「でずっぱり」って関東方言かしら。はて、「ずっぱり」って何でしょうか。擬音?「でずっぱり」以外に「ずっぱり」を使う表現ってある?「読みずっぱり」「食いずっぱり」「寝ずっぱり」…ん、寝ずっぱりはなんかイケそう<苦しい
夜も9時をまわった頃、自宅近所のKFCで斎琲(ざいふぇい/ブラックコーヒー)をすすりつつ、だいぶでかい音量にした音楽をヘッドフォンで聴き、かつNEWSWEEKを読みながらまったりしておりました。するといきなり目の前に若い女性がふたり現れて何か必死な形相で話しかけてくるので、あわててヘッドフォンをはずしたところ、宗教へのお誘いでした。「今日は特別な日なのでこうしていろんな方とお話をして、ひとを愛する喜びを感じてい」るのだそうです。まったく神様の話はせず、自分が会計事務所で働いていること、お姉さんが結婚していることなどを20分くらい話してくれました。20分って微妙だな、と思いました。
新作映画『珍珠灣』まもなく公開。さて、現代日本語において漢字表記が存在するアメリカの地名って真珠湾以外にありましたか。紐育はアウト?
上海と北京と香港を「じょうかい」「ほくきょう」「こうがん」と読まず、中国語発音に近い「シャンハイ」「ペキン」「ホンコン」と日常的に読む理由。しばしば台北を「タイペイ」と読めているのに、辞書登録されていない理由。高雄は「ガオション」なのにしばしば「たかお」と呼ぶ理由。ソウルにも漢字の名前「漢城」があるが日本ではほとんど使われていない理由。でもピョンヤンはしばしば漢字を使って表現されることがある理由。
しばしばってなに?擬音?
午前四時の稲光と雷鳴オーケストラ、寝ているあいだにかみなりさまの御殿に連れてこられたが如し。眼を固く閉じていてもまぶたの裏まで真っ白に光る上、ごごん、ごごん、とカラダに直接ひびくのだから、ぬしはどうして眠れとおっせえす。香港の雷はどうも天空というより超高層ビル縦2本分程度の高さでゴロゴロやっている気がする。稲妻(光の線)はあまり見えず、いつも雲ごと輝く。
朝七時の段階で黄色(暴風雨警戒)警報。
これで読書系消化器が元に戻ってくれれば願ったりだけれども、とりあえず無糖ガムは食べものとして認識されている。おそらく村上春樹だから・ねじまき鳥だからではなく、ハードカバーだから。肩からすなおに下ろした手をホイ、と置いた幅にひろがる大きさ、「本を読む」姿勢にするんと入れる大きさが、今回のリハビリに有効な模様。読んでいるうちに楽しくなるとよいが、さて、いかに。
12年前の北京のことを思い出す日。
本日のねじまき鳥:序盤、甘味料無しのガムを噛み始めたカンジ。実験だから、という気持ちがなければ読むのを止めているかもしれない。構え過ぎかしら。
なにがどうしたことか、非常に蒸し暑い一日。風が凪いでしまって、バス通りは息をするのが悲しくなるくらい空気が濁っていた。
本が読めない読めないと愚痴ってばかりでも仕方がない。とにかく読み始めてみればなんとかなるかもしれない、どうせなら日頃は読まず嫌いでうっちゃっている作家さんではどうであろうか、と『ねじまき鳥クロニクル』のハードカバーなぞを、会社の「海外支社向け組合共済文庫(要は社員の不用本を海外支社・子会社に分配している「よかったら読めば?」文庫)」から抜きとってきた。エッセイはともあれ、小説作品はどうも昔から読む気になれない村上春樹センセイ。実際に読んでみて「これは合わない」と感じたわけではないので、ほんとの食わず嫌い・読まず嫌いです。吉本ばななと馳星周も同様。
ついでに古本屋で『機械のある世界』(ちくま文学の森第11巻/筑摩書房)と『ちくま日本文学全集 内田百間(←ほんとは「間」じゃない、ていうネタは永遠に続くのだろうか)』を買った。夏ってなんとなく機械が好きになりませんか?
昨晩は香港コロシアムに歌謡ショーを見にいった。病気の子供たちを応援する基金のための慈善コンサート「生命重燃慈善演唱會」で、メインゲストは劉徳華、他に元・小虎隊(って書いてわかるひといるのかしら)の蘇有朋、張衛健(なんども芸人生命の危機に瀕しても生き残っている奇特なひとだ)、「グリーン・デスティニー」の主題歌を歌った彼女(名前知りません)などなど。気分転換に軽い気持ちで見にいったのだけど、思いがけなくAndy Lau先生が十年以上昔に大好きだった曲を披露してくれて、一気に懐古モードに。
蝉は毎朝きちんと元気に鳴いているものの、若干気温は低めで2〜3日は過ごしやすかった。でも、かならず夕方に雲が湧いてくる。そうやって降る雨は細かく間断なくそこらじゅうを蒸しあげて、せかいが灰汁にひたってしまうのです。また6月がやってきました。