xgag's
South China Sea News
[Nothing related to South China Sea regional/political issue]
| top | bbs | SCSN-past |

29/APR/00

妙に鼻がぐずつく上に寒気もする。これはひさしぶりに風邪をひきかけているのかな、と冷房をかけずにじっとしていると、雨もよいの空気が部屋のなかまでひたひたと染みてきていけない。五月一日(メーデー)は中国に返還されてから祝日になり、今年はおかげで3連休なのだけれど、こんな天気が続いているので、ただ日曜日が2回あるような気分。←贅沢な

  『ノーマン・ロックウェル画集』(白泉社)を眺める。印象に残ったのは「Homecoming Marine」と題された1945年発表のイラスト。太平洋戦争から無事故郷の町に帰還したらしいアメリカ海軍兵の若者を囲んで、おそらくその若者が赤ん坊の頃から彼を知っているであろう近所の親父さんたちが話を聞いている。すこしだけ硬い顔をした若者は、両手にきゅっと日章旗を握っている。たぶん戦場から持ちかえってきたものだ。親父さんたちの視線はじっと若者の顔に注がれている。それはようやく帰ってきた彼を静かに慈しむ視線であり、彼が今語り終えたばかりの戦場での辛い体験をみつめているのだが、もしかするとその体験談のむこうに生きている敵兵と、おそらくその敵兵にもこうして戻る家も家族もあっただろうにな、という思いをもかすめているようにみえる。斯くもにわか性善説論者となる快感、その心地よさに浸るのが却ってためらわれる安楽よ。(よ、ってなによ)

ホームページのお値段を鑑定していただいたら、ここの値段は四十数万円でした。目標アクセス数は一日300人とのご宣託。なんとなくヒイたが、ヒイた自分にも更にヒく。もうちょっとヒけたら、逆におもしろい。

そろそろドリアンが旬なのだ(どんなものかご存じない方は、濁ったそら豆色のラグビーボールを丸々と太らせ、その一面に一辺が2cm相当の三角錐状の棘をびっしりと生やした、重たく奇怪な物体をご想像ください)。近所のスーパーでは、まるごと一個がHK$25=約350円。独特の香りも濃くなって、白い衛生帽のおばさんがつききりで「25蚊一個(やぁんーまんやっこー)!」と元気よく売っている。この果物売り場おばさんは西瓜やドリアンなど大ぶりの果物を切ったり選んだりする手伝いをしてくれる。レジではビニール袋を二重にして詰めてくれるが、匂い対策なのか、重さ対策なのか。

弛むと書いて「たゆむ」と読む。揺蕩うと書いて「たゆたう」と読む。擬音の「どろどろ」には「大勢のひとが群がって通るようす」という意味もある。「どろどろと群がる」!すばらしい語感。


27/APR/00

ある種の電子部品やベアリングなどは個々のサイズが非常に小さいので、ミカン箱程度の大きさに何千個と詰め込むことができる。国際宅配便でも間に合わないような火急の際には、このダンボール箱をえいとばかりに抱えて飛行機に飛び乗り、メーカー社員自ら近隣諸国のお得意先まで届けにゆく。納期との戦いで万事休した際の「ハンドキャリー」と呼ばれる最後のワザだ。香港から上海や台湾あたりまでは1〜2時間で飛べるので、実はそのように我が身をにわか宅配便と為したサラリーマンが空の上にはうじゃうじゃいるのである。しかし運ぶ量やブツの正体、あるいはその価格によっては「密輸」に該当する場合もなきにしもあらず。実直なエンジニアである隠密宅配サラリーマン氏は「そしらぬ顔で税関素通り」が苦手だ。汗をふきふき背広の内ポケットからパスポートを取り出す彼。管理官の眼がじろりと動く。妙にしっかりと荷造りされた「機内持ちこみ手荷物」にむかって顎をしゃくる。「そ、それは」慌てればあわてるほどあやしいとわかってはいるが、慌てずにおれぬサラリーマン氏。かくて箱は無情にもひき開けられ、ああ我が社自慢の超精密コンデンサーが!IC基盤が!米粒みたいなベアリングが!ああ俺もこんなところで密輸でつかまってしまうのか(走馬灯のように脳裏によぎる赴任先で知り合ったカラオケバーのホステスの顔)。あやうしサラリーマンマン。(おちなし)

『八月の鯨』は老女と老人ばかりが登場するせいもあってか、早口でまくしたてる発声がほとんどなく、いくつかは台詞を聞き取れた。例えば「He's the laudest man the God ever created」、日本語の字幕は「こんなにうるさいひとは他にいないわ」のようになっていた。その字幕をまず先に目が読み、後から台詞に耳が追いつけたのだが、「He's the laudeset man in the world」なんてのが真っ先に頭に浮かんでいた自分がとてもつまらなく馬鹿に思え、しんみりしたことだった。

『ル・パスタン Le Passe-temps』(池波正太郎/文春文庫)で「虫養い(むしやしない/空腹の虫をしばししのぐこと)」として紹介されているメニュウ。熱いごはんの上へ味噌を置いて、みじん切りの葱をのせたもの。上質のロースハムを薄く切ってごはんの上へ敷きつめ、醤油をたらした葱をのせたもの。やわらかに焼いたフライドエッグをごはんにのせたもの。ごはんの上へ、ほんの少し焼塩をふりかけたり、または擂りおろした生姜をのせて醤油をたらし、ざっくりとかきまぜて食べる生姜飯。この生姜飯を、黒く焼いた厚手の海苔でおむすびにしても美味そうに思えるが、いかが。

ずいぶんまえから「おにぎり」と「おむすび」の関係が気になっている。数年前に夕餉の席で「何故、時におむすびと言い、時におにぎりと言うのであろうか?」と持ち出すと家族全員で討論になり、広辞苑をひっぱり出して調べもしたのだが、「おむすび」は恐らく昔の女性言葉であり、二つの言葉の意味に違いはないのだろうという曖昧な結論しか出せなかった。「握り飯」とは呼ぶが「結び飯」とは呼ばない(呼ぶかしら?)。はて、「握る」と「むすぶ」はどう違う?

蒸し暑いのもつらいが、一度熱された湿気が夜にはいってから妙に冷えているところを歩くのも、いかにもからだに悪そうだ。連休中から空模様は渋いばかりで、時に黒雲マーク(暴風雨警報のBlack Signal)が発令されたほどだった。昼は空のすみの方に青い色がのぞきもするが、朝夕は雲が低くたれこめている。昨日は夕刻にわかに墨をこぼしたように真っ黒になり、ざく、と最初の白い粒が降って、あとは驟雨。視界が白と黒に濁って、いつもは手が届きそうに見える対岸の香港島が消える。帰り支度を終えたB嬢はさっそくBFに電話して「ねーすっごい雨降ってるー!来れない?一緒にかえろ!」雨が降ったら一緒に帰る、っていいですね。


25/APR/00

4/21〜24は復活節(イースター)の4連休。連休二日目にクーラーの掃除をして、今年の冷房生活スタート。四日目に家じゅうの電球を取り替えて、光ある生活を再スタート。

ロードショーで見はぐった『Matrix』と、なんとなく気になっていた『ラン・ローラ・ラン』、それに何度も借りてはその度に見る時間を失い返却していた『八月の鯨』をビデオで楽しんだ。「ベティ・デイヴィスの瞳」という昔の曲が大好きで、いったいそれはどんな瞳なのだろうとずっとずっとひっかかっていた。『八月の鯨』に気位いの高い盲目の老女役で出ていたベティ・デイヴィス、目のアップはさほど多くはなかったけれど、しかしその真珠でつくった鉄のような色といったら。妹役のリリアン・ギッシュ、非常非常可愛的。

買った本:『池波正太郎の映画日記1978.2-1984.12』(講談社文庫)『ル・パスタン Le Passe-temps』(池波正太郎/文春文庫)『隠された十字架 法隆寺論』(梅原猛/新潮文庫)。池波本は鬼平シリーズをのぞけばそろそろ飽いてくる頃かとも思うのだが、まだ顎の裏あたりが満たされておらぬ。

無色のクリアスケルトンになってほしいもの:iMac、冷蔵庫、湯沸かしポット、CDウォークマン。クリアスケルトンになってほしくないもの:iBook、テレビ、掃除機、くまのぬいぐるみ。

木瓜(もっぐぁー/パパイヤ)の珊瑚色のスライスに檸檬汁をかけまわすと、もくもくした食べ心地はそのままに甘味がさっぱりと流れて、いかにも初夏らしいデザートになることを知る。これからの季節、香港はフルーツ天国。あとひと月したら、ライチが旬になる。そしてわたくしの香港での暮らしも満5年になる。枝ごと刈られて丸い竹籠に無造作に詰め込まれ果物屋の軒先に並んでいるライチを見たら、その日をわたくしの南国記念日といたしましょう。


17/APR/00

「古本屋」と打とうとして、必ず「ふるほにゃ」と打ってしまうあなた。「お世話になっております」と打とうとして、いつも「押せ湾になっとります」と打ってしまうあなた。なかま、なかま。(ぎゅー)

ふるほにゃ。『江戸川乱歩名作集』4〜7(春陽文庫)、『孤島の鬼』(春陽文庫)、『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)、『オヨヨ島の冒険』(小林信彦/角川文庫)、『ポップ・ヴォイス スーパースター163人の証言』(J・スミス/新潮文庫)などを買う。『ポップ・ヴォイス』は、ジミ・ヘンドリクスをアメリカに紹介したひとたちの様子がちらりと載っていたのでなんとなく買ってみたのだけれど、インタビューの訳が全部「ですます」調なので、ジーン・シモンズとかデイヴ・リー・ロスが「〜ですよね」「〜なんですからね」と喋っていて楽しい。「ボーノウ」って誰だろうと思ったらBONOだった。

「撮影と描画の違い」=「写真と絵画の違い」かどうか。『Title』の対談で、押井守が、撮影した映像にデジタル技術で微妙な変化をつけることの面白さに言及していたが、そうやって加工された写真は、絵に生るのか。


16/APR/00

自分の中に、非常におぼろなサヨク的(この「的」は狡い)ベクトルが在ることは学生時代からなんとなく自覚していたが、最近どうもこれが軽度の魚の目のように居心地悪く感じられる。が、そう簡単に剥がれるものでもなさそうだ。どうすることもなく放ってあるが、50歳くらいのある日に突然カゲキハになりたくなったらどうしよう。なればいいか。

文芸春秋が創刊した新雑誌『Title』創刊5月号をざっと読む。特集は「未来日本」とあるが、いささか押しの弱い、壜に入れた手紙〜いつか見知らぬあなたのもとへ〜的構成である。押井守×ウォシャウスキー兄弟の対談だけはまじめに読んだが、残るは祇園の芸子さんと嵐山吉兆の若女将と作家・綾辻行人の京都食通談義の他には袖がとおらない。む。

自分は旅先でよく布を買います。ハンカチ、スカーフ、タオル、ただの布。紙より強く、プラスチックより柔らかく、鉄より軽く、塩のように溶けず、寒ければまとい暑ければ汗をふく。丈夫な布一枚が旅の仲間にいると安心です。彼はわたしのまくらになり毛布になり襟巻きになり帽子になり腹巻きにも財布にもかばんにも更衣室にも、時には屋根にもなる。頼もしい布がほしい、うむ。

快晴の一日。イースターの四連休まであと四日!


15/APR/00

ここ数日は空が白く濁っている。金曜は驟雨。気温は25度前後でまだ暑さに苦しむほどではないが、夜半に仕事を終えビルの外に出ると、やたらと濃い湿気にぶわりと包まれる。木曜の夜は、かまちのかしらの煮付けで美味いビールを呑んだ。たらの芽のてんぷらの苦みに春を確かめておく。たまにSさんとでかけるアジトのような小さな日本料理屋で、かき揚げ蕎麦をいつもしめに食べる。

萩尾望都や諸星大二郎をめくりながら、一方で最近はずっと『剣客商売』(池波正太郎/新潮文庫)を読んでいる。番外編を含めて全部で18タイトル20冊あり、まだ5冊めの途中。読んでいる最中のここちを申さば、「うまい」のひとことに尽きる。このうまさを、まだ10冊余も楽しめるかと思うと、「たまらぬ」のだ。各巻の解説をつとめる常磐新平氏も指摘しているが、池波正太郎の文面の「みため」がまた、なんとも鷹揚で、かつひきしまっている。ひらがなと漢字の割合や、句読点の刻みかたがとても巧みで、しかし易過ぎぬ。肉になる文章だなあと思う。精神や魂になるかどうかはわからないが、確かに血肉になる文章だと思う。

『広告批評』(マドラ出版)1999年11月号<特集「世界のコマーシャル1999」>付属のCD-ROMで、58篇の世界の傑作CMを楽しむ。本文にはCD-ROMに収録されていないCMもカラー写真を使った絵コンテ風に紹介されていて、たいへん面白い。バックナンバーを見かけたら即ゲットおすすめ(注:CMのネタを知らされたくないひとは、先に映像を見てから本文解説を読むのが吉)。

『NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版2000年4月号』のカバー写真。何故ここまで歯がとんがっていなければならんのか?何故ここまで口がでかくなければならんのか?

しかし本を読むことは好きだが、脳裏に名残る記憶を頼りに「これは○○な本だった」と人に言えても、他人に「じゃあ○○な本はどれ?」とたずねられると答えられない。映画でもそうだ。手持ちの情報量がごく僅かで、それらもろくに整理できていないこともあるが、たいがいこんな風に話をする時は個別の主語ばかり先にくるために、自分はずいぶんたくさんのものを体験所有しているような幻想を抱いてしまうのだろう。形容を主語にすると途端に自分の底の浅さが知れる。記憶の検索能力がだめだめというか、インタラクティブに自分の脳味噌から適当な情報をひきだすことができない。訓練したらできるようになるのだろうか。

自宅の団地のどこかで、数日前から蝉が一匹だけ鳴いている。目覚しを早くセットしすぎてひとりぼっちの蝉。声もなんだか寝ぼけている。あと一週間のうちに仲間が目覚めなければ、彼はずっとひとりだ。ひとりぼっちの蝉と同じくらいさみしい、ってどんな気持ちかな、と想像してみてかなりつらくなる。今日は彼の声を聞かなかった。


11/APR/00

『銀座百点』に連城三紀彦が小説を書いている。読んでみたいが銀座は遠い。

『YASUJI東京』(杉浦日向子/ちくま文庫)を読む。明治13年から22年までの十年間に二百余の絵を残した画家・井上安治の、その絵を窓として立ち現れる明治の東京と、1985年の昭和末期の東京が「土」を経て重なり息を衝く、異色の短編連作。同じく収録された「鏡斎まいる」3篇の自在さ、なんとも憧れてしまう。こうも旨みのある世界を漫画でほろりほろりと愉しめるのは20世紀に生きた幸せでござろう。

「ウロボロス」という言葉の語感自体がうろぼろとしていて、「まるぼうろ」とか「そばぼうろ」とか「狼王ロボ」とかを連想してしまうんですが、もちろんそういうひとはほかにも居ますよね?


10/APR/00

四十路の話なぞ滅多にするもんじゃない。わかったような口をきいた罰が当たったのか、仕事で入力ミス連発の呆けっぷり。あげく某大手顧客の《大どんでん返しどたんば納期大変更だったら最初からそういえローリングサンダー!!》を食らい、虚空の果て(見開き画面左上すみっこ)に顎を見せて浮かぶ。夜、少し雨が降り、湿気で冷える。

今日は韓国への電話がつながりにくかったような気がするが、それは南北朝鮮の首脳会談が決定したことで、各国からの国際電話が集中したからだ、というのは勘繰り過ぎかしらん。会談のテレビ中継はあるのかな。キムジョンイルさんの肉声って聞いたことありますか?キムデジュンさんは?←この方は私くらいの年齢の者には「キンダイチュウ」事件の当人として喚起されるのではないかと存ずるが、貴殿はかの事件をご記憶か。あの時はキンダイチュウキンダイチュウと毎日かまびすしかったが、結局何が起きたのかはっきり習わずに終わってしまった。

香港にもたくさん韓国朝鮮のひとが暮らしている。韓国料理店も多いし、週に一度の「Korean Hour」では地上波放送局が韓国製のニュースやドラマを中国語の字幕付で放映している。香港の人気芸能人は韓国でも人気が出ることが多い(成龍はソウルの名誉市民になったし、黎明は韓国語でレコーディングした←日本語でもしましたが)。今のところその逆の流れはまだ無いようだが、それでもSTAR TV音楽チャンネルのCHANNEL Vには韓国の最新ヒットチューンMTVを流す番組もあるし、映画『シュリ』は日本よりだいぶ早くに公開され、先日からはソウル製流血映画第2弾『愛的肢解』が上映されている。

韓国と香港と台湾と日本の若いオンナノコたちが一緒にきゃあ!って楽しめるものはなんだろう。可愛いお洋服、かっこいい男の子(ニコラス=キムタク系?)、ちょっときどったバッグ、きれいな色のネイル、おいしいワッフル、チープだけど面白いかたちのビーズのお財布とか、思い切って買ってみるブランドコスメとか(olive入り過ぎか?)。台北でも香港でも日本のボーイズラブ漫画の翻訳本が出版されているし、「2000年の恋」も「Beautiful Life」も皆知ってる。でも香港では今のところ上げ底ブーツもガングロも流行っていないし、すっぴん通勤乙女はかなり多い。そんな風にセンスや情報が東アジアの女の子たちのあいだで重なったりずれたりしているありさまは、きれいな色のレースやガーゼがふわふわさらさらもやもやと重なって、包まれているのかほどけているのかわからないような形、にみえる。


09/APR/00

桜の咲かぬ南国はぬるい春の霧が名残る、そのむこうから夏が来る。窓を開けて寝る日々があとひと月はありますように。

森永ミルクキャラメル(「大粒」サイズ)が同僚の香港人女性にえらく好評である。なんとなく穏やかでつつましい、素直な味がうけたのかしら。頭が痛くなりそうに甘い欧米系ヌガーバーならコンビニでいくらでも売っているが、彼女たちがそんなものを食べているところは見たことがない。

「40歳までに何が出来るか」をよく考える。40歳を過ぎるまで待っていてもいいものと、この数年のうちに出来なくなるものがあるならば、まずその区別をつけなければならない。が、我が「分別能力」はかなり心もとない。やらなければいけないことはどうにかやれるし、やってもできないことはもうやらなくなったと思っていても、実はまるで逆さかもしれない(きっとそうだ)。ともあれ40歳という年齢を実際に自分がうんぬんするようになるとは、どうにも憮然とするしかない。25,6の頃に30歳になる日のことをあれこれ考えたのとはまったく違う。この違いを楽しめればよく、むろん楽しんでみようとは思うのだが、まるでルールを知らないゲームを始めるのと同じで「ここで笑ってええんですかいのう?」「ここでは悔しがった方がよかですか?」である。あーやべえ。

でもって、熟女ってどうよ?(>誰にともなく)。熟れた女、ってなんだか甚だイカガワシイ気もするけれど、人並みにえっちなオンナとしては敢えてその呼称をゲットしたい部分もあり。熟れてなんぼって、あるじゃない?あるのよう。熟れきれずに枯れてぼっとり、なんて悲しすぎやしませんか。いやうまく熟れないで腐っちまうより枯れたほうがまだしもヤマト系?どうよ?

別棟を建ててみました→hkg entertainment:今日は鄭伊健個人サイト、黎明&張曼玉新作、李連杰。

読みたい読みたいと思いながら長いこと手が出ずにいた『マージナル』(萩尾望都/小学館文庫)をようやく読む。最後はいささか無理にまとめた感じもしなくはないが、しかし味わいはある、ありすぎるほどだ。このひんやりと冷えた硬化テクタイト的モノセクシュアル的なナニはいったい、どうやってどこから生まれてくるのだろう。甘みが無いのではないが、それは「あまい」のではない。清い水が持つあまみ、若葉が持つあまみ、あるいは死んだばかりの鳥が鳴き残した歌の持つあまみである。

さて、ますます不定期かつどうもこうも方向性の無い雑文化しつつありますが、まだしばらくは続くかもしれません。現在下記のアンテナが更新を拾ってくださっています。おひまな時はいらしてみてください。
稀譚時報 | Arrivals | わっちりんくす


Laichi BBB All rights reserved.[profile] xgag@hk.ntt.net